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2011年4月

2011年4月20日 (水)

ふれ合い事業

今日は、花巻建設業青年部が主催する建設業ふれあい事業の打ち合わせをする機会がありました。

20年以上続いている中学校のふれ合い事業に加えて、3年前からは小学校のふれ合い事業を開催しています。

このふれ合い事業では、学校内の修繕工事などの地域貢献に加えて、重機や測量体験など建設業の一部を実際に体験することができて、子供達にはいつも喜んでもらっています。

今年の開催に向けて小学校の校長先生と打ち合わせをしてきたのですが、建設業は被災地の復興支援で大変だという話をよく言われることがあります。

これから先のことは確かに分かりませんが、そうした被災地の支援をすることも当然大切なことですし、そうした活動と合わせて、自分達の地元の子供達に笑顔を届ける活動は同じように大切だと考えています。

被災地支援と自分達の地元である地域の活性化や貢献活動とは、両輪の活動であるべきだと想います。

青年部会長として、こうした意識を大切に今年も仲間達と事業を進めていくつもりです。

2011年4月19日 (火)

気を引締めて

昨日、クレーン車が小学校の列に突っ込み6人もの尊い命が失われたニュースがありました。

本当に信じられないような事故が起きる可能性を改めて認識させられます。

どんなに後悔したとしても、残念ながら事実が変わる事はありません。

私達建設業は、普通の仕事よりも遙かにリスクが高い中で仕事をしています。だからこそ、こうした事故が万が一自分達の中で起きた時のことを想像しなくてはなりません。

誰かを悲しませるようなことを、絶対に起こさないようにするために。

今朝の朝礼でもこの事故の話をすることで、改めて気を引き締め直して、日々の仕事に向き合っていくつもりです。

2011年4月18日 (月)

イベントの打ち合わせ

今週の日曜日(24日)に、陸前高田一中でイベントを開催することになりました。

出張「酒蔵まつり」と題して、子供達に笑顔を届けるべく、花巻市石鳥谷の酒蔵まつり実行団体協議会の皆さんが主体となって、石鳥谷農協青年部や大迫商工会青年部の皆様の協力も得て開催してきます。

その事前打ち合わせとして、私と担当の事務局との二人で陸前高田一中に行ってきました。

現地の状況などに関して打ち合わせをしながら、映画の上映と縁日的に屋台を出すことになりそうです。

映画は一中の音楽室をお借りして、午前10時より子供向けに「カンフーパンダ」を上映し、午後1時からは家族向けに「がばいばあちゃん」を上映します。

こうした版権の会社にしても、被災地向けのボランティアということでいつも以上に安く協力をしてくれているそうです。

屋台的には、子供向けのジュースを作ったり、わたあめ、ポップコーンを映画向けに提供しますし、その他は、ストラックアウトのようなイベントや、手軽におやつ的に食べられるようなものを出す予定です。

年に4回開催している、「石鳥谷の酒蔵まつり」のノウハウがあるので、そうした得意なことを活かして、子供達に笑顔になってもらうために、中村会長が被災地に行くことを決めてくれました。

朝早くに石鳥谷を出発して、菩提寺である浄土寺から一度陸前高田の状況をスタッフの皆さんに見てもらってから、一中に移動してイベントを開催する予定です。

限られた時間の中ではありますが、現実の高田の状況もスタッフの皆さんには見ておいて頂きたいと思っています。

こうした現実を受け止めながら、今の自分達が置かれている状況を考え、明日への力に変えていってもらいたいと考えています。

当日の天気が少し心配ではありますが、なんとか晴天の下でイベントが出来るように、少しでも良い方向に変わっていって欲しいものです。

2011年4月17日 (日)

手を差し伸べる支援

被災状況が酷い地域であればある程、従来のシステムが機能しないのだと思います。

通常であれば、県や国、外部の方々にこうして欲しいという要望を上げて、そうした課題や要望を解決するための施策なり、支援が行われていきます。

今回のように類をみない被災状況の場合、誰しもがこれから先の復興へのプロセスを描くことに頭を抱えてしまうでしょうし、どうして行けばいいのか明確なビジョンを持つことは難しいことだと思います。

それでもビジョンを持つことが出来る地域は、復興に向けて歩みを早めていくことが出来るのかもしれません。

ただ問題は、そうしたビジョンを持つことが出来ない地域です。

国や県、外部に対して何かをお願いしようにも、何からどうお願いしていけば良いのか? そうした判断にも迷うこともあるかもしれません。

だからこそ、従来型の差し伸べられた手を掴む支援の方法ではなくて、こちらから手を差し伸べる支援が大切になります。

被災地の状況により、求められる支援のあり方から大きく違っているように思います。

2011年4月16日 (土)

支援の輪

本日、陸前高田支援連絡協議会「Aid TAKATA」が主催するフォーラムが東京の池袋で開催されています。

東京にいながら、陸前高田にご縁のある方々が集まり、こうして自分達が出来ることをしようとして努力をされています。

震災当初からSave Takataという組織を立ち上げ : http://savetakata.org/

更に大きな支援の輪にしていこうと活動を続けています。

自分達の得意な事を活かし、システムを創りながら継続的に支援を続けていくこと。

情報発信にしても、本日のフォーラムがUSTREAMで生中継されておりました。多くの方々に情報を発信することで関心を呼び起こし、物事を動かす力へとつなげていくことができます。

お誘いを受けながら本日のフォーラムに参加できずに申し訳ありませんでしたが、こうして頑張っている多くの方々の活動の輪が拡がり、大きな力となっていくことを願っています。

2011年4月15日 (金)

ちょっと早起き

子供と共に早起きをするようになって、今日で5日目です。

家から小学校まで、徒歩で約40分。 小さい体で毎日頑張って歩いていくために、朝7時過ぎには家を出なくてはなりません。

「一緒に行く友達を待たせてはいけない。」

自分の事よりも、他の人の事を引き合いに出した方が、やらなければならないと思うみたいです。

早く起きないといけないと思うと、子供も私も当然早く寝るようになります。最近は明るくなるのも早いですし、何かより良いリズムになっている気がします。

ただ、子供の寝起きの悪さはお父さん譲りなようです。

夜は前向きなのに、朝になると、「起きたくな~い」 と直ぐに弱音を言います。

動き出せば大丈夫なのですが、何事も最初の一歩を踏み出すのが大変なんですよね。

小学校生活も、保育園から環境が大きく変わって、今が一番大変な時なのかもしれません。

一つ一つを乗り越えながら、多くを経験して成長していって欲しいものです

 

2011年4月14日 (木)

トータルリフォームを目指して

地域の皆様からのお陰様で、建物修繕工事,水路等の維持管理工事、倒木処理,水回りリフォーム,建物の解体工事など、様々な工事を現在進めさせて頂いております。

専門的な一部を除いて、殆ど全てを自社施工出来る状態を維持していくためには、技術の継承が必要不可欠です。

一年間を通して専門的な仕事をするというよりも、一人一人の社員がコアな技術を有しながら技術の幅を拡げ、様々な仕事に自社対応出来るようにしていくことを、弊社では大切に考えています。

確かにそれは効率が悪いことかもしれません。

ただこうやって幅広い技術を持った社員がいることで、緊急時や様々なニーズに対して、可能な限り迅速に対応出来るメリットがあります。

お客様にとっても、顔が見える関係の中で信頼して仕事を頼みやすくもなりますし、私達も自信を持って仕事を進めることができます。

自分達だけで全ての仕事を出来る訳ではありませんし、協力業者の皆さんやメーカーの皆さんの協力が無ければ、様々な工事を仕上げていくことは到底できません。

ただ、その核となる部分には弊社の社員が責任を持っているようにしたい。

そう考えて、日々向上を目指していきます。

2011年4月13日 (水)

仮設住宅について

今日は仮設住宅の中を見る機会がありました。

仮設とは良いながらも2LDKですし、エアコン・キッチン・ガスコンロ・水洗トイレ・ユニットバスがついています。

そして、日本赤十字からの提供ということで、冷蔵庫,全自動洗濯機,電子レンジ,炊飯ジャーもありますし、寒さ対策で電気コタツも支給されるそうです。

井戸水ではありますがライフラインも全て整っていますし、生活をする上で必要な有る程度のものが揃ってはいます。

本当に素晴らしい程の設備が整っています。

しかし、これだけの設備でありながらも、抽選に当たった人の中で辞退する人が出ています。

どうして申し込みをしていながら辞退する人がいたのか、その理由が良く分かりませんでした。

話を聞きながら想像するに、光熱費等の費用負担に加えて、当初仮設住宅の人は自分で食料を確保しなければならない条件がネックだったのかもしれません。

(今は、当面の間は食料を支給することに変更になっています。)

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支援金の話やお見舞い金の話はニュースでも出ていますが、いつ被災者の人達に届くのか分かりませんし、仕事を失った人達が多くいます。

会社が再建され再就職出来る場合は良いですが、新たな雇用を生み出す工夫をしながら、自立し真に生活再建できるような仕組みも整えていかなければ、被災地に留まっての、本当の意味での再出発が出来ません。

そして在宅被災者の中で、食料を独自に確保できない特にも高齢者世帯の状況が厳しい現状があります。

こうした事を解決していくためにも思い切った政策が早急に必要ですし、他地域で実施されている良い事例を参考にするのも一案だと想います。

2011年4月12日 (火)

片付状況です

今まで写真を敢えて載せないできたのですが、状況をより分かり易く知ってい頂くために、写真も使うようにしていきます。

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片付けが進む前の、震災6日後のお寺の状況です。

お寺周囲の大変な状況が良く分かるかと思います。

P1010455 

P1010456 

下の2枚は先日のボランティアによる片付け前の状況です。

大きな屋根は下の幼稚園の屋根が津波で押し流されてきたものです。

P1020057 

お墓の方からみた、境内の状況です。

震災直後よりは、片付けが進んでいました。


P1010549 

 お寺の入り口の柱も1本流されたために、2本のサポートで仮に補修しています。

こうしてバックホウやダンプも利用して、片付けを行っています。


P1020085 

機械作業だけではなく、構造物付近は人手もかなり必要になります。

人で積むことを考えて、ローダーも持っていきました。


P1010569 

お墓に上がる通路を確保しました。


P1010589 
 
P1010586 
 
 
 

2011年4月11日 (月)

追悼の鐘の音

今日も菩提寺や建設業関係の打ち合わせがあって、陸前高田まで行ってきました。

午後2時に浄土寺で打ち合わせをすることにしていたのですが、本日4月11日が震災から丁度1ヶ月ということもあって、津波があった時刻の14時46分からご住職が追悼の鐘を鳴らすというお話しを聞きました。

今後の片付けの打ち合わせやお墓の修繕についてお話しをしながら時間になり、ご住職が鳴らす追悼の鐘の音を間近に聞きながら、手を合わせることが出来ました。

遠く光照寺からも、鐘の音が聞こえていました。

この時間に合わせて、多くの方々が手を合わせご冥福を祈ったのだと想います。

今日も余震が各地で続いていますが、震災の傷跡が余りにも大きすぎ、復興の道筋が未だに明確に見えてはいないのが現状です。