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2011年4月

2011年4月10日 (日)

新一年生

先週の金曜日に入学式があって、明日から長男の小学校生活がスタートします。

こうやって普通の日常を過ごすことが出来ていて、ちょっとした事にも感謝の気持ちになります。

これからどんな生活になるか楽しみと同時に不安もありますが、子供と共に日々頑張っていくつもりです。

まずは子供と一緒に朝早起きをしなければならないので、明日から一緒に頑張ります。

 

 

2011年4月 9日 (土)

一区切り

菩提寺の片付け、3日目です。

今日は生憎の雨模様ですが、雨でほこりが立たない分、作業環境は良くなりました。

建物際の片付けなど残っている範囲はありますが、なんとか皆さんが安全にお墓参りにこれるくらいには片付けを終了することができました。

本堂の床上まで水がきた跡がありましたが、重い建物だけあって軸組はしっかりしています。

ただ、入り口の柱が一本流され、もう一本の柱もずれてしまっていましたが、これはサポートで応急処置をして支え、もう一本も前の位置に戻して固定しました。

先日の大きな余震でも大丈夫だったので、しばらくは安定を保つことができると思います。

これからも片付けなどで時間が掛かりますが、まずは最初の一歩を踏み出すことができました。花巻での解体工事の関係があって今日を一区切りとして一度撤収をしますが、今後も必要に応じてサポートしていくつもりです。

震災から1ヶ月が経ち、最初の手探り状態から比べて、組織や仕組みが機能し始めているように感じます。

経験がないところから始まって、様々な困難に直面しながらそれを乗り越えて頑張っている内に、人の力量は確実にアップしていきます。そして頑張っている人を、支える人も増えていきます。

高田内部の力と外部からの様々な支援とが相まって、日々少しずつではありますが、復興に向けて着実に前に進んでいますshine

2011年4月 8日 (金)

菩提寺の片付け(2日目)

本日の作業を終えて、先ほど帰ってきました。

改めて、津波の凄さを思い知らされました。

浄土寺のすぐ下に陸前高田幼稚園があったのですが、その屋根が奥まで流されてしまっていました。

海から見ても、かなりな高さにあるお寺なのに本当に驚きです。

片付けをしていると、多くの人達の想いがあっという間に津波に呑まれてしまっている無情さをしみじみと感じさせられます。    

写真があったり、生活の様々な品があったり...

普通の解体工事あれば、こんなにも日用品が混ざっていることはありません。

機械作業と手作業を合わせて、大切そうなものは選んで分けてはいるのですが、残念ながら殆どが泥にまみれてしまっています。

お寺の境内にある砂は、まちがいなく高田松原の砂浜にあったものです。直線距離で1km以上もあって、高低差もかなりあるのに、本当に信じたくないような津波の大きさです。

今日までの片付け予定だったのですが、想定以上に時間が掛かり明日もまた頑張ることにしました。

お寺の中には残っている建物や大事なものも多く、機械だけでは作業を進めることが出来ない分、より時間と労力が必要になっています。

限られた時間で申し訳ない限りですが、明日も社員の皆さんと頑張ります。

2011年4月 7日 (木)

菩提寺の片付けに

4月7日(木)から菩提寺である浄土寺の片付けに入っています。

会社から、0.45のハサミ付きバックホウ,0.5m3ローダー,4tダンプを持ち込んで、初日は私も入れて6人体制です。

親類の家が殆ど流されてしまっているので、せめてということで会長の意向もあって菩提寺のお寺をボランティアで片付けることにしました。

朝6時30分に花巻を出発して、朝8時30分から住職さんと打ち合わせをして作業開始です。

なんとか予定をやり繰りして機械と人を投入しているので、なんとか今週中には大きいところを決めたいと考えています。

重機を運ぶトレーラーも、地元の建設会社さんのご厚意で敷地内に置かせて頂けることになりました。

お墓に上がる道路が瓦礫で塞がれているので、なんとか頑張りたいと想います。

2011年4月 6日 (水)

新入社員

今年、数年ぶりに新入社員を採用しました。

若手社員が頑張ってくれているので、その下を育てたいという考えもあったところに加えて、ちょっとした縁もあったからです。

弊社では毎年、花巻農業高校と黒沢尻工業高校の職場体験を受けれています。毎年様々な高校生の人達と一緒に仕事をするのですが、今の子供達は礼儀正しく、一生懸命に頑張ってくれています。

そんな中の一人として、今回の新入社員も2年前に弊社で職場体験をしたことがありました。

その時の印象がちょっと特別で、普通の高校生であれば言われたことを一生懸命に頑張るくらいが当たり前なのですが、その子は自ら仕事を探したり聞いたりしながら、どんどん自ら仕事をするタイプでした。

お父さんが大工さんで昔から手伝っていたことも大きいとは思いますが、今までとは良い意味で違っていたために、強く印象に残っていました。

他にもクラブ活動や測量でもかなり頑張っている話を学校側からも聞いていたのですが、昨年の採用にあたって仕事に関しての考えを作文に記してもらったことがありました。

その作文に書いてあったことは、一家を支えて頑張っているお父さんのことでした。例え体調が悪くてもどんな時でも、家族のために仕事を頑張っているお父さんのことを書き記しながら、自らもそうした家族支える人間になっていきたい。 

そのような事が記載してあり、そうした環境で育っているのならと採用を決めさせて頂きました。

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人はその育つ環境によって変わっていくと想いますし、それは会社でも同じことです。

会社でも、こうやって若い社員が入ってくることで、良い意味での刺激が生まれてきます。

今の前向きで一所懸命な気持ちを大切にしながら、様々な経験を通して技術や知識を身につけ、自らの仕事に自負を持てるような生き方をしていけるように、共に頑張っていきたいものです。

2011年4月 5日 (火)

継続的な支援体制

先日高田を訪れた際に、陸前高田社会福祉協議会及び全社共から応援に入っている方とお話をする機会がありました。

そこで話があったのは、陸前高田社会福祉協議会の主要な方々が亡くなり、資料やデーター、通帳までも全てが無くなった中から災害支援活動を始めているということでした。

市からの財政的な支援が今年から無くなったことに加えて、今までの収入源であった介護などのデーターや資料も無くなってしまっています。

現在は外部からの支援(全社共,県社共,その他NPO関係の皆さん)があるので本当に助かってはいるが、こうした収入源が無い中で継続的に組織を維持し、活動をしていけるか不安が大きい現状があります。

現在、災害支援に関する相談窓口やVC(ボランティアセンター)としての機能を有していますが、そうした事務委託費などの経費を頂くなどしながら、なんとか行政のサポートを早急に受けていく必要性を感じました。

また、全社共の応援の方と話をしたのですが、今回の陸前高田の被災状況を考えた場合、今までの阪神大震災や中越沖地震といった従来の考え方に則った支援の仕方では、上手く機能しないと考えているようでした。

今日も高田に行った際に交通渋滞が起こっていましたが、多くの方々が車で被災地に入ることも難しく、ボランティアの受付をするにも現在の場所ではあまりにも狭すぎます。

これは、行政機能も同じで、給食センターや仮設庁舎では、従来の市役所などのスペースから比してもあまりにも小さすぎて、余計に横の連携などが取りづらくなっているように思います。

その方のお話しでは、より内陸に近い別な場所にボランティアの受付拠点を創り、陸前高田の中に各拠点を設けて、全体をサポートするようにしていきたいとの構想でした。

そして、通常のボランティア以上に長期的に被災地の皆様に寄り添って頂けるような活動が必要で、複数の団体や組織と連携しながら、継続的に必要とされるボランティア活動が実施されていくような体制が必要だと話されていました。

ただ、実際に陸前高田に来ても宿泊場所も、ご飯を食べるところも殆どない状況です。従って、こうしたボランティア活動を後方から支援してくれるような活動も、大切になってくるかもしれません。

様々なお話を聴きながら、ボランティアとして求められる部分が、単なる受け身ではなくて、被災者の人達と話をしながら自らニーズを探していくことが大切だと思いました。

被災者の人達からのニーズが出てこないからといって全く無いのではなくて、潜在的なニーズがあってもそれをお願いする気持ちになれないのだと思います。

こちらから、どうな手を差し伸べていくか。そうした意識が大切に想いました。

 

2011年4月 4日 (月)

仮設住宅の考え方について

4.2(土)に、2名の先生方と共に、住田町の仮設住宅(木材のプレカット,集成材利用)の現場やプレカット工場を回り、住田の多田町長ともお話をする機会を得ました。

住田町及び陸前高田市には、地元の木材を使ったプレカットの工場があって、24時間体制で仮設住宅やその他のニーズに応えるべく、仕事をしておりました。

仮設住宅に関しては、多田町長のお考えの下、100棟を作る計画があるそうです。

震災当日からの陸前高田、大船渡への住田町としての支援実績をお聞きし、とにかく出来る限りの最大限の援助をしようというその思いやりと行動力に深い感銘を受けました。

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この仮設住宅は、2LDKの間取りで、水洗トイレやお風呂もついていて、壁には断熱材も入っています。基礎はプレハブタイプの仮設住宅と同じく木材を使用した簡易タイプで、壁も木材でむき出しになっています。

私は建築の専門家ではないからですが、基礎をコンクリート基礎にして外壁を張れば、10年以上は余裕で持つような市営・町営住宅にも出来そうな感じでした。

かなりなローコストで出来るのですが、現実的には建築の確認申請や土地の問題もあり、申請に時間を有してしまうことが問題だとは思います。

しかしながら、2年で退去しなければならない仮設住宅よりも、今回のような類を見ない震災からの復興が5年、10年、あるいはそれ以上掛かる可能性がある中で、こうした公営住宅も必要ではないかと考えます。

この木材を利用した住宅のメリットは、地元材料が多く使われ、しかも建築に関わる人は全て地元の人間だけでも賄えるということです。

仮設住宅の生産能力も1日に20棟以上出来る話ですので、地元経済の循環を考えても、こうした着目点が大切だと想いました。

地元だけで人手が回らない時は、内地からも応援に入ることも必要でしょうし、サッシや断熱材なども含めた材料の安定的な入荷も必要になります。

こうしたことはクリアーできる範疇だと想いますので、その地域に応じた実情も考慮し、より地元経済を回すための復興支援の一つのあり方として、県でも採用を検討していって欲しいものです。

 

2011年4月 3日 (日)

4.2(土)避難所の状況と今後

昨日、県議会の先生2名及び地元の元市議の方と3名で市内の各箇所を回りながら話を聞く機会がありました。

その時の話を元に私見を加えて、現在の状況を記載しておきたいと思います。

高田一中は市内でも最も多い800名の方が現在も避難している状況で、今後周囲の避難所との統合が進んでいくことと、仮設住宅に移っていくことの状況を考えても、しばらくはこうした状態が続いていくことと思われます。

食事は、保育所の栄養士の方1名をチーフに、後はボランティアで食事を作っています。今後、こうした専門職の方も仕事に復帰していくことを考えると、自衛隊や給食センターなど公的な形できちんと食事が提供されることが必要だそうです。

現在は冷蔵庫や冷凍庫などの保管施設がある分けでもなく、半ばボランティア的に800名もの方々の食事を作っていますが、これから暖かい季節になる前に、きちんとした管理の下で食事が提供されていかなければ、様々な衛生上の問題も懸念されます。

避難生活が長期化していく中で、生鮮食品や調味料も不足し、日用品も不足している状況です。

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お風呂に関しては、米崎小学校の自衛隊のお風呂に行くのですが、陸前高田市内にこの仮設のお風呂が一つしかないので、まともな順番でいくと、1ヶ月に1度入る計算になるそうです。

ただ、県内の様々なボランティアの方々のご支援を頂き、送迎バス付きでお風呂に行くことが出来ていますので、実際にはもう少しお風呂に入る頻度は高くなっています。

陸前高田市の場合、インフラの中でも水道の復旧が一番大変で、市内の8割をまかなっていた水源が失われ、今後の安定的な水確保が大きな課題となっています。沢水や井戸水などの簡易水道を利用しながら、今後復興を目指していくことになりますが、地域的には井戸水に頼るしかない場所もあり、まだまだ時間が掛かると思います。

在宅の方々も状況把握が進んでいないため、避難所以上に厳しい状況に置かれている人がいるであろうことも心配されていました。

長引く避難所生活の中で、団結力もあり、本当に我慢強く頑張っているという話がありました。

ただ、今後の避難生活だけでなく、学校の問題にしても、何かしらの不便を我慢しながら皆が生活を続けていくことになるため、少しずつでも状況が改善し、何かしらの希望を持てることが大切になりそうです。

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陸前高田商工会に所属している9割以上の会社が無くなってしまった現実の中で、これからどうやって商店街を復活させ町の機能を創ることができるか、イメージ出来ないそうです。

仮設住宅は2年の期限ですが、水産業にしても農業にしても、この短い期間で再建していくことはとても難しいという話もありました。

家に関して、地震保険に入っていたとしても全額保証される訳ではなく、ローンを抱え働く場所も無いような状況下で、本当に生活再建を果たしていけるか、不安が先立つこともその通りだと思います。

こうした先が見えない中で、国が掲げる「夢を持った計画」の前に、現実的且つ具体的な復興のプロセスをまずは早急に示して欲しいと切に願います。

 

2011年4月 2日 (土)

4.2の活動

金曜日から双子の兄が神奈川から戻ってきました。

土曜日に高田の避難所に物資を届けようと、奥さんと二人ですごい量の物資を買ってきてくれました。

ドライシャンプー,清拭料,体拭用のウエットタオル,モンダミン,化粧水や乳液,下着,肌着,靴下,タオル,缶詰,日用製品など。 

どれも段ボールで一箱分はあって、何カ所も向こうでお店を回って揃えてくれたよですが、こうした物は向こうでもあまり売ってないようです。

今被災者の皆さんが欲しいものは、通常の支援物資では揃わないものが多く、こうやって買い揃えなければいけない現実があります。神奈川でも揃わないくらいなので、こちら花巻でも手に入らないものも多いです。早く、こうした物流も復活してもらえれば良いのですが。

私の車と兄の車に物資を積み分けて、高田一中まで一緒に行きました。私は、県議会の先生二人と高田の様々な場所を回る予定があったので、一中からは現地でボランティア活動をしている弊社の従業員に道案内をしてもらいました。

会社の幌付きの軽トラックを持っていかせているので、私の車の荷物を分けて、道案内をしながら配ってもらいました。

最初の高寿園だけでも、お風呂のニーズが高いだけあって、ドライシャンプーや体拭きは全部でも欲しいという感じだったそうですが、他の避難所も回るので我慢して頂いたそうです。

お年寄りが多い避難所ではこうしたニーズが高いとは考えていたのですが、本当にその通りです。他にも希望が丘病院,和野会館,下和野会館を回って物資を置いてきたそうです。

回りながら欲しい物を聞いたところで、鍋やズボン、少しお風呂にも行けるようになったのでシャンプーなど、様々な要望があったそうです。

早速、高田から戻ってくるなり、兄たちはそうした物を買いそろえていたようで、日曜日に神奈川に戻りながら、高田を経由して置いて帰るそうです。

前日に欲しいという話を聞いて、翌日にこうやって届けることが出来れば、本当にタイムリーなニーズに応えているのでとても有益なことです。

ただ、殆どは足を運んでニーズを聞いてそれに応えているため、答える事が出来る機会は決して十分ではありません。

以前からの課題ではあるのですが、ボランティアや物資に関するニーズを吸い上げながら発信していく仕組みの構築が必要です。

それに対して社会福祉協議会の皆さんが、こうした事に対応しようと努力をされておりますが、地元に精通した方々が多く亡くなられてしまっているために、時間が掛かってしまっています。

携帯電話のエリアも日々拡大する中で、こうやってニーズを頼みやすい信頼関係を構築し、横の情報連絡がスムーズに図られていけば、より良い支援活動が実施出来るようになっていきます。

こうした所にも、支援の輪が拡がっていって欲しいものです。

 

 

 

2011年4月 1日 (金)

新しい歩み

本日は4月1日です。

厳しい冬を乗り越えて春の訪れがより強く感じられる中で、23年度に向けての新たな一歩を踏み出しました。

 昨日までよりも、昨年までよりも、少しでもより良い自分であり、会社でありたいと想います。

こうした向上心を大切に、お客様の立場で物事を考え、しっかりとした技術を通して信頼され、地域の皆様から真に必要とされる会社であり続けることを目指していきます。

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先日、マイヤの移動販売開始という嬉しいニュースがありました。今日鳴石団地の中を通ると、商工会議所の仮事務所、仮設の郵便局に加えて、岩手銀行も仮店舗の準備をしていました。

私達の建設業や、電気業の関係の事務所もありますし、徐々に様々な新しい動きが感じられます。

少しずつなのかもしれませんが、確実に前に進んでいる感じを受けました。

これは、3月30日に陸前高田を訪れた時に咲いていた梅の花です。(間違っていたらすみません)

例えどんな事があっても、時がくれば春になり、夏になり、秋を過ぎて冬になります。自然は歩みを止めはしません。

人の力ではどうすることも出来ない自然が持つ大きな力を感じた時、今まで以上に自然との共生を考えていかなくてはならない気がしました。

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