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2011年3月

2011年3月31日 (木)

想うこと

私達の会社では、行政の年度に合わせて3月31日を締め日にしております。

平成22年度を思い起こしても、受注競争の激化に始まり、夏の異常的な暑さと冬の大雪、そしてこの忘れる事の出来ない大震災と、本当に大きな環境の変化に向き合わなければならない一年でした。

こうした自分達の会社を取巻く環境を変えることは出来ません。だからと言って、どれだけ自分自身を変えることが出来たのかと、自問自答してしまいます。

私の中でも、弱い自分と強い自分の心の葛藤がありますし、人は考え始めるとマイナスにばかり考えてしまいます。 どうしても、不安な事や心配なことばかりが先に立ってしまう時もあります。

そんな自分自身がどうであっても、翌日には朝がやってきて、自分が為すべき事に向き合わなければなりません。

そうした葛藤の日々の中にあっても、行動していくことを止めてはいけないのだと、そう心に決めています。

諦めずに行動さえ続けていけば、どんな小さな歩みでも、確実に前に進んでいくことができる。

ただそこには道標も必要であって、進むべき方向を示してくれるものがなければ、目的の所まで辿り着くことができません。

こうした状況下にあって、本当に多くの大切なものを失ってしまった人々に、これから未来に向けて歩んでいくための道標が示されなければ、歩み始めることが出来ない人も多いのだと想います。

前を向いて進んでいくための道標が、様々な形で早く示されていくことを願っております。

 

 

2011年3月30日 (水)

陸前高田の親類を回って

今日は私の両親と共に、陸前高田の親類回りをしてきました。

親類の人達から様々な話を聞きながら、あんな所まで、しかもこれ程の大きな津波が来るなんてことは、誰も予想が出来なかったことを改めて痛感させられました。

運良く助かったという話を聞く度に、本当にちょっとした差でこんなにも多くの方々命を落としていることに、単なる津波の恐ろしさを越えて、あまりにも無情な現実に愕然としてしまいました。

両親とお墓に花を供えて手を合わせながら、無くなった方々のご冥福をお祈り申し上げてきました。

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各避難所を回りながら気がついた点ですが、今までよりも避難所にいる公的なスタッフの方が増えている感じを受けました。受付できちんと誰が来たのかを確認したり、被災者のプライバシーにまできちんと配慮している避難所もありました。

今日は高田の中でも主要道路に面しているところでしたので、地域間格差は大きいと思いますが、少しずつ人的なサポートも増えてきていることを実感致しました。

社会福祉協議会にも寄ってきたのですが、先日心配をしていた携帯電話が、4台程早速届いていました。

今後、この携帯電話を各部門毎に割り振って、各避難所にチラシを配りながら、ボランティア等のニーズを聞いていくそうです。

不足物資としては、野菜や生鮮食品はどうしても不足しておりますし、肌着,下着も不足しているようです。

電気が通ってない地域においては、乾電池やロウソク,着火マンのニーズもあります。

電気が未だに通ってない地域や、家が残っていてそちらに避難している方の状況など、詳しい状況が分からない点も多いのですが、私の方で知り得た情報は今後も発信させて頂きます。

2011年3月29日 (火)

携帯電話に関して

陸前高田において、ほぼ全域で携帯電話がつながったという嬉しいニュースが流れてきました。

衛星電話だと数も少なかったため、これからはもっと情報交換や情報共有がやり易くなっていくのだと思います。

ただ、今のところ皆さん個人の携帯電話を使って連絡のやり取りをされている状況でした。

日曜日に高田を離れる際に、携帯電話の管理をしっかりと行うことの前提で、各避難所に公用の携帯電話を置いてもらうようにお願いした方が良いのでは? と話をしてきました。

皆さんの善意で個人の携帯を使っていることではありますが、適切な料金プランになっていることはあり得ませんので、請求金額を見て驚くような状況になれなければ良いと心配をしてしまいます。

今まで当たり前に使っていたライフラインにしても、こうした携帯にしても、使えない時の対応を普段から考えて備えておく必要性を強く感じます。

今の生活があまりにも便利になりすぎて、その状況が失われた時の私達の弱さを痛感させられました。こうした今の気持ちを、決して風化させてはいけないと想います。

コメントで頂いた情報です(3.29)

コメントで頂いた情報です:
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3月27日、神奈川県から陸前高田市気仙町・湊 避難所(月山神社、二日市公民館)に行ってきました。

行路は東北自動車道、水沢ICを出て、343号線に入り矢作を通り竹駒を目指します。 竹駒の手前の「まったて橋」手前300メートルで右折し、線路をを通って狭い道路を進み45号線に入り月山神社に入りました。 

行政機能が混乱する中、本人証明ができない義兄の被災証明、住民票、仮設住宅申し込み済ませ、義兄を連れて神奈川県に戻ってきました。 被災証明があるとどこの医療機関も無料なそうです。 神奈川は一時避難先として市には報告しました。
 
高速自動車道は、小さいPAの方が給油可能でした。大きいSAは長蛇の列でした。 水沢市内の給油所は閉鎖しておりました。市内の給油所は無理だと思います。


コメント投稿者名: Aikougunaikawa

2011年3月28日 (月)

高田での支援活動を通して(所見です)

先週末に陸前高田に入っていましたので、その活動報告及び私見を記載させて頂きます。
 
主に高田一中と長部地区しか見ることが出来ていないからですが、震災発生後2週間が過ぎて、各避難所の状況は安定化している地域(長部地区)と、状況が悪化している地域(高田一中)に分かれ始めており、食料については、野菜や生鮮食品等の不足が顕著になっています。
 
長引く避難所生活でのストレスに加えて、システム的な問題もあるように感じるのですが、状況が悪化している所は、災害当初から行政が入ることが出来なかったため、やむを得ずボランティア組織で自治会を作り、全てを自分達で運営しボランティアだけに頼る組織のあり方となっております。
 
震災でこれだけ多くの行政の方が亡くなってしまう状況は、本当に想定外だったようです。
そして今、震災後2週間を経て、中心だった人達がボランティアだけをやっている訳にはいかない状況になっています。
 
長部地区の自主防災組織のように年配者が中心になっていれば良いのですが、高田一中では若い人達も組織の中核になっており、自治会長も自分の仕事もあるために組織の縮小と再編をしなければならないようです。
 
これは、避難所のシステムが安定化しているとも捉えることができるのかもしれませんが、現実的にはやむを得ずといったところです。
また、被害が少ない地域は良いのですが、被害が甚大な地域では亡くなった方も多く、避難所のみの支援しか行われていない状況で、家に戻っている人達の生活の把握が実施されず、自宅に戻った方々の生活が著しく悪化している話も聞こえてきます。
 
こうした状況を早期に解決したくても、頼りになる区長さんや地元民政委員の方々も亡くなったり、家や家族を失った状況下にあって、力を無くしてしまっている方もいらっしゃいます。
 
社会福祉協議会にしても、福井社協や全国,岩手県の社協が支援に入って、県立大学のボランティアサークルが、本当に頑張ってくれています。
ただ、地元に根差した人達ではないことや、人手的にも足りないために、自分達が考えている活動をやりたくても出来ない状況にあり、様々な対応に遅れが生じたりする場合もあります。
 
行政は、まさに不眠不休な状態らしく、本当にギリギリの中で仕事をされており、全体的にシステムを構築したり、改善していく余裕が明らかに無くなってしまっています。
 
私自身の活動は、身内を亡くしたにも関わらず震災当初から頑張っている陸前高田青年会議所メンバーの2名を支援しつつ、ブロックとのパイプ役になるために、社会福祉協議会のVC(ボランティアセンター)
関係のお手伝いをしてきました。 
 
そうした事に加えて、建設業協会の関係もあって、陸前高田支部のサポートも出来れば良いと考えて情報交換などをさせて頂いておりました。
 
このような大震災であるにも関わらず、ボランティアの要請数は非常に少ない状況です。
介護関係などの専門を除いた場合、一般のボランティアで求められているのは1日に10名にも満たないため、各避難所を周りながら、逆にボランティアニーズを聞いているような状況でした。
 
地域的にも自分達の事は自分達で出来る限りやろう! そんな意識が強いようにも感じていますし、料理を作るにしても逆に外部の人がいない方が、気を遣わなくて良い。そんな、外部に入って欲しくない場合もあるようです。
こうした状況もあり、しっかりと長期的に高田の復興のために力を尽くしてくれるボランティアの人がいれば、ネットワークや信頼関係を構築することもできて、また違った人的支援が出来るように思います。
決してニーズがない訳はないのですが、自分達で出来る限りのことをやろう!そんな前向きな強い気持ちを感じることも多々ありました。
 
携帯がつながらない被災地域も多いため、日々変化するニーズをVCでも把握しきれておらず、昨日必要と言われたにも関わらず今日になったらいらないという場合もあって、避難所との電話によるネットワークの構築が必要だと考え一部で実行してきました。
 
ニーズとしては、お風呂や燃料といったものがあるのですが、お風呂を提供するための水が不足し電気も通っていない地域があるため、簡単に解決できなことも多いです。
 
ただ、いろんな支援の話があるので、上手くマッチングさせていけば、今の状況をより良くしていくことも出来るという、可能性も感じさせて頂きました。
 
結びになりますが、
 
従来のシステムとは違う公的なお金を注入した、安定的に必要とされる支援物資の配布が必要です。
 
必要とされる組織の再編を早急に実施し、地域に仕事を創出しながら生活再建を果たしていく内発型の復興を果たしていって欲しいと心から願っております
注) 私の所見で記載させて頂いておりますので、あくまでも一つの情報として捉えて頂ければ幸いです。

2011年3月27日 (日)

人とのつながり

今日も陸前高田で自分が出来ることをしていく中で、様々な人とのつながりのありがたさを感じずにはいられませんでした。

自分一人の力は微力でも、協力してくれる人やサポートしてくれる人がいることで、物事が上手く進んだり、物事を実現していくことが可能になります。

被災地では、様々な課題や問題点があります。

そうした状況を少しでも良い方向にしていくことが出来るようにするために、そして少し先に発生するであろう問題に対して、早めの対応をしていくためにもネットワークが必要になります。

被災地を巡っていても、人と人との助け合い、お互い様の心が強く感じられる時が多々あります。

日本人の素晴らしい精神性が、より大きな復興への力になっていくことを願っています。

 

2011年3月26日 (土)

3.26の報告です。

今日は、陸前高田の高橋理事長に同行を頂いて、長部方面の各避難所を回ってきました。

被災した人達の今の状況をまずは知ることから始め、これから何が出来るのかを考えていくためにも様々な情報を得てくるつもりでした。

この長部地域では、7~8年前に自主防災組織が創られ毎年その組織をしっかりと再構築してきたこともあって、情報伝達の仕組まで出来上がっていて、共に助け合って前向きに頑張っている姿が印象的でした。

これから復興へ向っていく中で、地元の人達が中心となり、更には新たな仕事の環境を創り上げながら、自分達が生まれ育った土地で住み続けることが出来るようにしていくこと。

そうした仕組みも必要になってくると思います。

この長部地区は、このエリアにいる人全てが、被災者という考え方をしています。

地震当初は家が残った人が被災者の人達を助け、家があっても食料がない人が増えてくれば公平に支援をしています。

これからも、お互いに支え合いながら、様々な困難を乗り越えていくのだと想います。

また、各避難地域に物資を届けたり、各避難所を支援したりと、自衛隊の皆さんの活動が無ければ、避難生活はなり立たない地域が数多くあります。

海外においても自衛隊の皆さんの災害支援は高い評価を得ていますが、これだけ迅速に様々な仕組みを整え、殆ど休み無く活動をされていることに、改めてその存在の大切さを実感させて頂きました。

 

2011年3月25日 (金)

3.25 本日の報告です。

本日も陸前高田に支援に入っています。

 陸前高田一中だと、フォーマカードでインターネットに接続できました。こうして、本日の報告をさせて頂きます。

陸前高田一中は、仮設住宅の建築が急ピッチに行われています。入居者は抽選とのことですが、数に限りにがある中ではそれ以上にどうしようもありません。

避難所での団体生活から、プライバシーが保てる環境で生活をしたいと考えるのは当然のニーズです。内陸部の市営・町営住宅などの受け入れも必要になってくるかもしれません。

 今日から少し本格的に動いてみようと、昨日回った経験を活かして、社会福祉協議会や地元建設業協会高田支部を回りながら、親類を訪ねることが出来ました。

社会福祉協議会では、様々なボランティアの方々が頑張っていて、経験ある方々に加えて、学生のフレッシュな皆さんも頑張っておりました。 現在ボランティアの登録人数は15名程度ですが、実際に発生しているニーズに専門的なことも多く、また充分にニーズを吸い上げられていない現状があります。

そして、各避難所からのニーズも日々変わっていきます。 こうした要望をしっかりと調査し、迅速にどれだけ対応していくことができるかで、効果的な支援が実現出来るかどうか決まってきます。

 明日から長部方面で、青年会議所はこうした活動をしていく予定です。 本日話をした限りでは、お風呂に定期的(1回/週間)にしか入れないため、水を使わないシャンプーや、体を拭けるボディーシートやウエットティッシュが欲しいという話が、複数ありました。

地元建設業の皆さんの中には、社長さんが亡くなられたり、会社が流されてしまった方々います。そうした状況下にあって、地元の要請に応えるべく、半ばボランティア的に頑張っていらっしゃいました。

金銭面や燃料、資材面など、効果的な支援が求められるところです。

3.25 陸前高田支援へ

今日は、昨日陸前高田を訪れた際の情報を下に、必要とされる物資を調達しながら陸前高田に向かいます。

陸前高田JCの中核として活動されている方々は、それぞれに身内や親類の方を無くし、家や会社も無い中で、震災当日から毎日頑張っています。

こうした志の高い人達の負担を少しでも減らせるようにとの想いもあり、本日から2泊3日の予定で支援に入り、来週以降も可能な限り高田に赴く予定です。

昨日、一緒に高田に行った若手従業員は、花巻出身ではありますが陸前高田で大工さんの仕事をしていた経験があり、竹駒町の方をお嫁さんにもらっています。

そんな縁があるということで快く承諾の返事を頂き、土曜日までに諸準備を整えて、日曜日から物資配送用の弊社の軽トラックを持って、私と共に本格的に支援活動をしていく予定です。

こうした経験が、きっと若手社員の将来にもつながると考えています。

一人一人が出来ることは例え小さいことかもしれませんが、支援の輪は着実に拡がっていますし、それが重なりあって大きな力になってきています。

そして私達も、前を向いて頑張っている被災者の方々から、大きな力を頂いています。

2011年3月24日 (木)

3.24陸前高田へ

これから支援を本格化していくための情報収集と段取りのために、弊社の高田に縁がある若手従業員を連れて陸前高田に行ってきました。

3日前に陸前高田を訪れた時よりも道路幅が拡がっていて更に走り易くはなっておりますが、歩道がないために歩行者や自転車が通っていますので、かなり慎重な運転になります。

携帯電話も、当初のAUが強い状態から、今ではドコモの方がエリア的に繋がるようにまで回復してきてはいるのですが、陸前高田市内は一部でしか繋がらない状況が続いています。

本日の高田入りは、向こうで震災当初から頑張っている陸前高田青年会議所メンバーを支援しながら、陸前高田社会福祉協議会の方と打ち合わせを行い、青年会議所岩手ブロックの人的支援を受け入れる基盤をつくることが目的でした。

陸前高田の高橋理事長に案内をされて社会福祉協議会に行くと、こうした災害時の支援経験のあるボランティアリーダーの方々や、岩手県立大学のボランティアの方々が活動されておりました。

こうした専門的な方々がいらっしゃることは、経験の少ない私達にとって本当に助かるサポートになります。

広田方面には、福井県のボランティアグループが支援活動をされているようで、私達青年会議所は湾を挟んで反対側に位置している長部地区を支援していくことになりました。

本日は、岩手ブロックの佐々木会長を始めとして、副会長の皆さん、そして一関青年会議所の理事長さんも午後から陸前高田を訪れ、明日からの具体的な支援について打ち合わせをされていきました。

私達は、陸前高田青年会議所メンバーに案内をされて、支援対象地区である長部小学校を訪れ、責任者の方とも様々なお話をすることができました。

こうしたお話を通して感じたことは、様々な課題を見つけながら、何が出来るか自分達でもしっかりと考えながら支援していく必要性があるということです。

大きい避難所においては、自治の仕組みが機能していますし、子供達や様々な人達がボランティア的に自分達が出来ることをしようと頑張っている姿を多く目にすることができました。

これから復興が進んでいけばもっと様々なニーズが発生していくと思いますが、現在のような生活支援の場合、課題や不足していることをしっかりと確認しながら、確実に手を差し伸べていくことをしなければならないと想います。

私達の活動として、今までの物資支援から人的支援に切り替わっていく中で、被災者の皆さんの生活が少しでも良くなるような支援活動をしていければと存じます。

また、本日は建設業協会の関係者として陸前高田建設業協会にもお話を聞きにいく予定でしたが、行った時間が遅くてお話しが出来ませんでしたので、また明日に伺うつもりです。

結びになりますが、SaveTakataの皆さんと、陸前高田でお会いしてお話をすることができました。

例え遠くに住んでいても高田の事を本気で想い、自分達が出来る最大限のことをしていこうという人達がいることを、本当に頼もしく感じました。

様々な皆さんと情報共有をしながら手を携え、少しでも高田の皆さんのためになるように考えながら、今後も継続的に出来ることを頑張っていきます。