Powered by Six Apart

« 2011年2月 | メイン | 2011年4月 »

2011年3月

2011年3月23日 (水)

3.22の活動です。

昨日は、少しばかりの燃料を集め、避難所の仮設トイレに電気を引くために必要な資材を花巻青年会議所OBでもある日成電気さんからご協力を頂いて、道具と一緒に高田で頑張る仲間に届けてきました。

菅野先輩、本当にありがとうございました。

昨日からは、一中の避難所の方々もお風呂に入り始めるなど、明るい話題も届いてきました。

被災しながらも周りのことを気遣ってくれるような方々が、本当に大勢いるということも他の方々からの情報で耳にします。 そして、復興に向けて力強く頑張っている方々も大勢いらっしゃいます。

こうした故郷に生まれ育ったことを、本当に誇らしく思います。

想うこと

今回の大震災で、私の高田一中時代の同級生が分かっている範囲でも3名亡くなっています。

2名は市役所職員で、中学時代から皆を引っ張っていけるリーダー的な存在の二人でした。

もう1名は印刷業を営んでいて、陸前高田と花巻で場所は違えど、自分達のまちを良くするために頑張っていた青年会議所の仲間でもありました。

彼が昨年陸前高田青年会議所の理事長を引き受けると聞いたとき、その一年前に花巻で理事長をしていた私にとって、彼がリーダーシップを発揮して頑張るという決意をしてくれたことを本当に嬉しく想うと同時に、心から激励したことを想い出します。

今年の1月1日に、来年の年祝いに向けた集まりを開催する。手紙と同時に、印刷業を営んでいる友人からも誘いの電話がありました。

今年の花巻は記録的な大雪で、私は31日の午前中から1日の午前中まで20時間以上除雪をしていて、結果としてその会に参加できませんでした。

今想えば、この会に参加したかった。 彼らといろんな話をしたかった。

心から残念に想います。

どんな運命のいたずらか分かりませんが、双子の兄と私は高田一中を卒業して、それぞれ盛岡と花巻の高校に進学し、その2年後には、家族皆で父が会社を営んでいたこの花巻市石鳥谷町に移ってきました。

兄は神奈川にいて難を逃れ、私達家族もこうやって花巻にいたことで今回の被害を受けずに済みました。

今回、高田の親類で亡くなった方や、亡くなった友人。命は助かっても、家や会社を無くした人達が大勢います。

私の故郷である高田のために何とか力になりたい。微力ながらも、どうにか力を尽くしたい。

そう強く想い、これからも自分が出来ることを続けていくつもりです。

2011年3月22日 (火)

復興支援に関する一案として

被災地の方々とお話をすればするほど、今後の復興のあり方を考えてしまいます。

多くの人財が失われ、行政の機能が低下し、職を失った方々も大勢いらっしゃいます。

しかも大震災という非常事態の中であれば、普段よりも当然ながら仕事量が増えてしまいます。

民間の経営的な発想ですが、このような考え方を一つの案とは出来ないでしょうか。

・震災にあった人達の中から、地域の復興支援に携わりたいと志を持ち、且つ土地勘を持っている方を中心に、行政や社会福祉団体の臨時職員として採用する。

これは、ボランティアとして被災地の中から協力を頂くことが難しいであろう被災地域もあり、かと言って外部の人達を中心に復興を進めることでは、産業も低下してしまっている中にあって、その地域の人達が生活し続けていく糧がなくなってしまいます。

そして、人と人とのコミュニケーションを考えても、継続的に復興・支援していく核となるべき人財が必要になっていくはずです。

短期的にはボランティアとして頑張る被災地の人もいると思いますが、収入の道がただでさえ閉ざされてしまっている中で、到底長続き出来るものではありません。

更に言えば、仕事を得ることで収入が生じ、且つ生活のリズムが出来ることで、人的な復興支援にもつながっていきますし、優秀な人材を地域に留めることができます。

もちろん外部からの支援も絶対的に必要にはなるのですが、今後の復興にあたっては、基本的に被災地の人達の雇用や、地域の人達の支えとなるような仕事が産み出されていくような仕組みを考え、復興していくことが大切なのだと考えます。

こうした人材を活かして横の連携を構築し、少しでも早期に被災者の方々が公平に支援される仕組みを創り、仕事を発生させ収入を得ながらその地域に根差して復興にも携わり、生活を続けていくことが出来る仕組みを創ることはできないものでしょうか。

志ある人達が、地域復興の要になっていくようなシステムが出来上がれば理想的です。

短期的な措置としてでも、考えることは出来ないものでしょうか。

2011年3月21日 (月)

陸前高田へ(3/21)

本日、弊社でなんとか調達したガソリン60㍑と灯油1タンクを持って陸前高田一中の本部にいる陸前高田青年会議所の同志に届けてきました。
 
この目的は、彼らを支援し動ける状況を作ることで、より詳細な情報を得ると同時に、なかなか支援が行き届かない所に手を差し伸べていくためにどうすべきか? 
この事を、共に考えていくためのものです。
 
まず、道路に関しては竹駒方面からの道路も大夫良くなってはきておりますが、一部少しだけ狭くなっている箇所がありますので、通行の際はご注意下さい。
 
重機も入りながら、本当に多くの消防関係の方々が捜索をされておりました。(竹駒町です)
---- 
私の他にも、お餅20kgを届けた稗貫(石鳥谷・大迫)同志の会のメンバー4名と一緒に行ってきました。
 
稗貫同志の会の皆さんは、一中に物資を届けた後、他の物資を降ろす作業もしてくれております。
 
また、現地で青年会議所の東北地区協議会 高宮会長(福島-二本松),海鋒副会長(江刺)
岩手ブロックの佐々木会長の他、花巻,北上,江刺の各青年会議所理事長も現地を訪れ、支援体制について陸前高田青年会議所の高橋理事長と話をしております。
 
その後、私は高田一中の本部に留まり、陸前高田青年会議所の高橋理事長と、私と08年の同期理事長であった戸羽君の2名と意見交換をさせて頂きました。
 
【現在の状況として】
 
・沿線に近い大きな避難所への物資は定期的に届けられるようになってきています。
 
・ただ、少し離れた避難所の場合、物資が十分に届いていない状況にあります
 
・陸前高田一中でさえも、水の不足(給水車が需要に追いついていない)が今朝は深刻だったそうです
 → つまりは、かなりギリギリな状態での水供給になっています
 
・仮設住宅の建設は、順調に進んでいるように見えました。
 
・インフルエンザの発生による、手洗い(出来ればうがいも)、各消毒が必要になっています
 
・水の不足に関しては、今後簡易お風呂などが供給されるようになってくればより深刻になってきますし、水及び燃料の安定的な供給が必要になってきます。
 
・ガソリン等の燃料が不足している点もそうですが、避難所間の横の連携を取れる状況にはないようです。
 → 燃料不足よりも、地元に精通した人員の不足が大きいように思います。
 
・一中において子供達がシャボン玉を飛ばして遊んでいる姿を見ることが出来ました。
 → 幅広い支援が行われている一つの証なのかもしれません。
 
【本日意見を総合しての私見です】
 
・大切な人の安否不明者が多数いるために、公の活動に参加するまえにそうした人達を探したい状況があります。
 
・自治会機能を運営してきた主要な方が亡くなってしまっている場合や、そうした事に力を注げる状況にない場合もありそうです。
 
・それをサポートしたくても、行政は各避難所の運営や様々な対応に忙しく、今以上のことに手を広げていく余裕は到底ないように思えます。
 
・中で頑張っているスタッフの皆様も、10日目を迎える本当に献身的な活動の中で、どうしてもストレスや疲労が大きくなってきている感じを受けました。
 
・民間ボランティアの皆様の場合、長期でその地域で活動出来る方はごく少数なため、国であったり、岩手県や他市長村、何らかの公的組織などからの支援体制も必要になっているように思います。
 
・陸前高田の人達の生活を考えたとき、仕事を失った人が数多くいます。
 単なるボランティアではなく、復興のための仕事を通して収入を得て、早く生活のリズムを取り戻せるようになんとかしていかなければなりません。
  
【結びに】
  
今の状況は本当に厳しいですが、その中でも一生懸命に出来ることを頑張っている高田市民の皆さんに逆に力を頂きました。
 
私も微力ながら、なんとか出来ることを続けていきます。
 
注)本日の聞き取りや様々な方々からの情報を得て記載しておりますので、これが全てではないであろうことを付記しておきます。

2011年3月20日 (日)

決断力とリーダーシップ(3/20)

あの絶対に忘れることが出来ない大震災から一週間以上過ぎ、避難地での生活を考える必要性が高まっています。

支援物資も集まり始めている中ではありますが、横の連携が取れていない状況が続いています。

これは、一つの市における各避難所間もそうですし、各自治体間でも同じ状況のようです。

こうした時こそ、トップのリーダーシップを発揮して、既存の考え方に囚われない、本当に必要な事を早期に創り上げていくための決断力が求めらています。

避難所にいる皆さんの避難生活をどうしていくのか。

幸いにも自宅が残り、自宅で生活している皆さんの支援をどうしていくのか。

津波の難を逃れた地域においては、各公民館単位に避難所指定を広げて、各公民館単位でも必要物資の供給が地域の人達に出来るようにしていくことも必要になってきているように思います。

結いの精神やコミュニティが残っている東北だからこそ、その地域で助けあって、今の本当に厳しい状況をなんとか乗り越えていけるように。

こうして拠点に物資を運ぶようにしながら、その拠点を中心により幅広い人達を支援していくことができるように。

避難所も含めて、地域全体として効果的に支援を進めていく仕組み作りが早急に必要だと感じていますし、それに向けて動き始めている民間団体もありますが、まだ時間が掛かりそうです。

注)昨日までの聞き取りや様々な方々からの情報を得て記載しておりますので、これが全てではないであろうことを付記しておきます。

2011年3月19日 (土)

必要なこと(3/19)

本日も、私の所属している2団体-3グループが支援物資を積んで、現地の避難所周りをしながら、必要とされるものを置いてくる活動をしています。

彼らの活動に対して聞き取りをしながら想うことは、避難所で必要とされるものは、当然ながら毎日変化していくということです。

そして、被災地の支援物資を受け入れる拠点には、日を追う毎に物が集積され量的にも多く集まってきています。

燃料事情も、政府支援策が機能し始めてきており、確実にタンクローリーでの供給量が増えてはいるようですが、如何せん一定期間燃料が無かった状態があまりにも酷すぎるため、状況の改善には時間を要しています。

現に4号線沿いのセルフスタンドの行列は、この花巻でも相変わらず2kmは越えている状態でした。

多くの避難物資が現地の拠点に集まってきている今、それをどのように必要とされる人達に配っていくのか?ということが課題となっています。

それは、外部の見知らぬ人達がやるのではなくて、顔を知っている人同士が、一つのコミュニティーを形成しながら助け合っていく姿が望ましいのだと思います。

燃料が無くて、動ける人がいなくて、家にいる人は配給物資の対象から外されているから..

そうして困っている人達もいます。

避難所にいる方々も、幸いに家が助かって戻っている人達も、どちらも苦しい、厳しい状況には変わりがありませんし、そうした人達に対して的確な支援が行われていくためにどうすれば良いのか。

今、そうした事を考え始めている人達が増えてきています。

注)私の聞いている範囲での情報ですから、決してこれが全てでは無く、もっと様々なことが現地で必要とされているはずです。

 

2011年3月18日 (金)

安否確認 人名情報検索について

安否不明なご親戚や知人の情報を得る手段が様々にあるとは思いますが、グーグルで情報提供しているものがあります。

この中段右側に、「人を探している」「情報を提供する」という項目がありますので、一つの情報検索及び情報発信の手段としてご紹介致します。

私も、このお陰で親戚や同級生などの安否情報を知ることが出来ました。

http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011.html

 

陸前高田支援情報(SAVE TAKATA)

ありがたいことに、陸前高田を支援するための組織があります。

★Save Takataとは?
東北太平洋沖地震のため被災した陸前高田市民を救う救済チームです。
主に東京在住の陸前高田生まれの有志により編成されています。
ttps://sites.google.com/site/savetakata/

現地での活動情報など、様々な情報発信をされています。

タイムリーな情報を得て下さい。

関東本面から陸前高田・大船渡方面に向かう方へ(3/18情報)

コメントに情報を求めておりましたので、私の方で調べた情報を加えてお知らせいたします。

基本ルートですが、国道4号線で一関をまずはめざして下さい。

次に、大東経由で高田に入るために、343号線を目指して下さい。大船渡・高田方面の看板もあるはずです。
343号線を通って、

大船渡に入る場合:
陸前高田市の矢作 ~竹駒~農面道路(サンビレッジ高田方面)~高田道路(高速道路:通岡ICで乗る)~大船渡ICで降りて、大船渡合同庁舎を目指して下さい。

旧大船渡振興局、現在の岩手県沿岸広域振興局(大船渡地区合同庁舎)で、より詳しい最新の道路情報を得て、どういけば良いのか、再度現地で最新情報を確認することをお薦めいたします。

陸前高田方面の場合:

給食センターにある災害対策本部で、現地の最新情報を得て下さい。

(給食センター:事前に位置を調べておいて下さい。高田一中のもう少し山側で、農面道路から行けます。手書きで案内看板も出ていますし、沢山の人が歩いていますので、道を聞いたり、確認されることをお薦めいたします)

一関からのルート確認に関して、343号線は大丈夫とのことですが、本日の状況を一関JCのメンバーから再度教えてもらう予定です。

道路条件として、凍結の恐れがあります。昨日の朝は雪道でした。今朝の情報としても、仙台の路面は凍っていると話していました。安全のため、スタッドレスタイヤかスノータイヤで来て下さい。普通タイヤの場合は、道路条件を良く確認してきて下さい。

夜間、氷点下では路面凍結の恐れがあります。普通タイヤでの峠越えは、道路条件が悪いときには絶対にしないで下さい。道路の凍結解除をまって、日中に動くようにお願い致します。

本日、私の親戚を仙台まで救援に行っていて、大船渡まで戻る予定なので、こうやって情報収集をしながら発信させていただきます。

参考になれば幸いです。

2011年3月17日 (木)

震災後の陸前高田、大船渡に行ってきました(3/17)

何かのお役に立てばと思い、本日に陸前高田・大船渡方面に行ってきた状況報告をさせて頂きます。

これは、平成23年3月17日の状況になります。

陸前高田・大船渡共に、物資を届ける場合のルートは大船渡(107号線)経由で動いた方が良いようです。
 
陸前高田へは、竹駒を抜けて高田に入るための一本しかない道路の周囲が、竹駒付近の一部区間で津波の影響により道幅が狭くなっています。
 
信号機も大船渡市内まで殆ど大丈夫ですし、107号から45号線に出れば、安全に大船渡市内まで行けます。
 
陸前高田の避難施設へは、107号線 ~45号線に入って、少し釜石方面に走ると「大船渡IC(修正済み)」から、大船渡三陸道路(高速道路)に無料で乗ることができます。
大船渡から高田に入って、直ぐに「通丘IC」で降りることが出来て、避難施設である、高寿園、サンビレッジ高田を通って、同じく避難施設である、希望ヶ丘病院に向かう分かれ道を左に曲がって、防災センターである給食センターや、高田一中避難所に向かうことができます。
行く場所によりますが、参考になれば幸いです。
大船渡方面に行って、もし何か相談する必要が生じた場合には、旧大船渡振興局(現在の岩手県沿岸広域振興局)に行って聞くと良いと思います。
 
携帯電話に関しては、DOCOMOが通じる範囲は、大船渡日頃市付近と花巻から宮森の一部区間だけとなります。
 
もしAUがあれば、高田の一部や大船渡、住田でも通じますので、何かの連絡の為にもAUの携帯電話をお持ちの方が同行することをお薦め致します。
 
電話が出来る施設も増えていますから、事前に確認していった方が良いと思います。
本日より、今までのような交通規制が全く解除になっており、誰でも沿岸部に移動出来るようになっています。
 
支援物資車両,緊急車両,一般車両など様々な車が通っていますが、ガソリン不足のせいか、街道は割と順調に走れます。ただ、大船渡市内の国道45号線は混んでおりますので、ご注意下さい。
 
そして、私の故郷である陸前高田です。
 
災害本部の方とお話しをさせて頂きましたが、支援物資にある通り、日用品がこれから更に不足していくそうです。
 
命をつなぐ緊急避難から、避難生活へと変わっていっていく中で、生活に必要なものが全て不足しているというお話でした。
 
陸前高田の防災センターは、給食センターを使用しているため、どうしても規模が小さく、少しでも向こうサイドでの負担を減らしてあげる必要性を感じました。
 
陸前高田の行政機能は、多くの職員と、何よりも要である市役所、警察本署、消防本署という全ての主要施設が失われております。
 
高田の町中しか詳しくは見ておりませんが、町中の商業施設は全て失われ、報道で見ていた通りのまさに壊滅的な光景が広がっていました。
 
これは、行政機能を失ったであろう大槌、山田も同じ状況なのかもしれません。
 
そんな中、消防隊や自衛隊、そして地元の人達が捜索活動を続けられており、地元の人が被災直後からのそうした活動に対する感謝の気持ちを涙ながらに話しておりました。
被災者の皆さんは、こうした支援に対して心から感謝されておりました。
参考になれば幸いですが、何か支援物資を集める際には、
 
1.支援物資リストの作成
2.人で降ろすので、段ボール毎に物資をまとめること
3.その段ボール毎の物資は、同じ種類のものを入れるようにすること
4.段ボールに番号や箱の中身を記載して、段ボールの内容が一目で
分かるようにしてあげる
 
特にも日用品になっていくと思いますが、仕分けが必要になるようなことが無いように配慮してあげることが大切なようです。
 
岩手県では個人からの物資支援は受けておらず、個人の場合は募金になってしまいます。
 
身近なところで、様々な団体が物資を集めていると思いますので、もし個人で何かを送りたいと考える場合は、行政に電話をして身近な団体を紹介してもらうと同時に、事前に送る内容を相談した方が良いと思います。
 
どんな善意でも、間違いなく被災者の心に温かく響くことを、改めて実感させて頂きました。
 
そして、もっと頑張っていく決意を固めた一日でもありました。