Powered by Six Apart

最近想うこと Feed

2011年1月22日 (土)

苦情ではなく相談へ

今朝の朝礼でも話したのですが、建設業である私達はどんな工事をする上でも、必ず様々な方々のご協力を得なければなりません。

例えば今行っている下水道工事を考えても、道路上だけで仕事をしているように見えながら、家の出入りでご迷惑を掛けたり、時には道具や機材を民地におかせて頂いたりすることがあります。

そうした時に、自分達主体で物事を考えるのではなく、相手の立場で物事を考えるように話をしています。

自分のこととして置き換えて物事を考えるようにすること。

何か問題が起きた後で何かを相手から言われればそれは苦情になりますが、事前にきちんと配慮をして相手と話をしていれば相談になります。

何よりも、こうした姿勢は相手との信頼関係の構築につながります。

現場においては、常に事前に相談をし必要に応じてお願いをしていくと同時に、その根底には様々な人達からご協力を頂いている事に対する、感謝の気持ちを忘れてはなりません。

 

2011年1月21日 (金)

仕事始めを振り返って

今年の仕事始めは、予想外の仕事始めになりました。

12月31日に歩道整正除雪を朝の10時から開始して、途中から雪が降り出し、午後には信じられないようなどか雪が降ってきました。

あっという間に、20cmを越えて大変な状態にsnow

天気予報を事前に確認していたので、従業員の皆さんにも待機はしてもらってはいたのですが、この12月31日から1月1日にかけては、帰省で花巻にいない人も多く、当社にとっては一番作業体制も厳しい状況でした。

県道・国道の歩道は既に除雪に出ていたのでそのまま除雪を続行し、市道の車道・歩道も市役所から要請があった14時過ぎには直ぐに対応して、除雪体制に入りました。

昨年の12月26日に一度大雪が降っているため、雪も押し辛い状態になっていました。そこに、追い打ちを掛けるような大雪になったため、どうやっても除雪時間が掛かります。

しかも、31日の夕方からは凍えるような湿った吹雪に天候が悪化し、防寒着は濡れて長靴にも水が溜まるような状態でした。風が強いと体感温度がより寒く感じると聞いたことはありましたが、気温以上に寒い状態で除雪を行っていました。

こうした天候の時、押して歩くタイプの除雪機械による除雪は本当に辛いです。

県道・国道の歩道、そして市道の車道・歩道除雪も苦闘が続き、あっという間に年越しの深夜0時に近づいてきました。いつ終われるかも分からず、徹夜で除雪する覚悟を決めながら、一度夜食を食べに会社に戻りました。

あの時のように、従業員の皆さんとおにぎりとカップラーメンを食べながら年越しをしたのは始めての経験です。20分程度も休んだでしょうか。つかの間の休息を経てまた除雪を再開しました。

結局、全ての除雪が終わったのは翌日である1月1日の朝11時ころでした。

大荒れの寅年を象徴するかのように、大晦日まで荒れた天候だったのが、卯年になった1月1日の朝は本当に穏やかな朝でした。

爽やかな元旦の朝に除雪をしながら、今年一年が穏やかな一年であればと願ったことを想い出します。

徹夜で除雪をするという仕事始めになった2011年。

交代要員もなく共に除雪を徹夜で頑張ってくれた従業員の皆さんに対して、心からの感謝の気持ちが溢れてきた一日でしたshine

<県道・国道歩道を除雪した弊社のロータリー除雪機械(34PS)の写真です>

S-PC310156 
 

2010年2月16日 (火)

オリンピック

オリンピック競技そのものも感動を与えてくれますが、一人一人の選手のオリンピックまでの足跡がより感動を与えてくれました。

女子モーグルの上村愛子選手について、長野オリンピックからバンクーバーオリンピックまでの12年間を紹介する番組を見ました。

どうすれば、メダルを取ることができるのか。

ケガや様々な壁にぶつかりながらも、多くの人達に支えられて、並々ならぬ努力で今に至っているといこと。

挫けそうになった時に支えてくれた、お母さんの存在。

コーチやトレーナーとの信頼関係や、応援する仲間達がいてくれること。

一流選手の才能は、単に運動能力だけではなくて、メンタルや努力し続けることが出来る要素も大きいのですね。

予選の30秒と決勝の30秒。

たったそれだけの時間で全てが決まってしまう中で、全ての選手がそれぞれの努力をしてその場に立っているんだろうな。 

と考えながら、今まで以上に熱い気持ちで応援をしていますshine

モーグルを見ていて、長野オリンピックに影響されて昔コブ斜面にトライしていた自分を思い出しながら、久しぶりにスキーに行きたくなった私でした。

2009年12月31日 (木)

年の瀬に想うこと

私達建設業の年度は、4月から3月までなのですが、暦の上では今日で2009年も終わりになります。

最近は、年越しの元旦から除雪があったり、様々な行事があってゆっくりとお正月を過ごすことが無いために、あまり年越しやお正月という感覚が薄くなってきてしまいました。

あまり荒れた正月に成らないで欲しいなと想いながら、外降る雪を見ています。

私達の建設業界は、この風雪厳しい天気のように2010年以降も厳しい状態が続きそうです。

厳しい冬に堪え忍ぶ精神的な強さが東北人の特色とも言われますが、それも全てはやがて来る春の訪れを知っているからこそ耐えられるのです。

厳しい冬を乗り越えて訪れる春は、より感慨深いものがあります。

いつ訪れるか分からない春を待つのは辛すぎるので、せめて少しは春の訪れを感じさせるような明るい兆しがあれば、だいぶ救われるのでしょうね。

2009年11月17日 (火)

ちょっとしたキッカケで

私は自分を追い込まないと頑張れない駄目なタイプではあるのですが、山あり谷ありの人生の中で、さすがに気持ちが沈んでしまう時もあります。

そんな精神状態の時には、家族にも迷惑をかけてしまいます。

疲れて家に帰って、子供の面倒を見ているだけでも疲れてしまって、家内や子供にイライラをぶつけてしまいます。

「なんで、休める時間も無いんだ。俺だって、少しは休ませてくれよ」って、家内も共働きしているのに、自分の事しか考える余裕がありません。

そんな自分がイライラして普通の状態ではないことを、一番敏感に感じたのは4歳の長男でした。

そんな時に、子供に逆に気を使ってもらって、ふと我に返りました。

「仕事で疲れているんだから、パパ休んでいたら。 お風呂はママと入るよ。」

4歳半の子供にこんな優しい言葉を掛けられて、自分自身を反省せずにはいられませんでした。

そんなちょっとしたことから元気をもらって、すると気持ちがとても前向きになります。

前に聞いた言葉ですが、「良いことも、悪いことも、そんなに続くものではないよ。」

どんな辛い時でも、早く気持ちが前向きになるちょっとしたキッカケを、普段の生活の中から探していきたいものですね。

多分、それは身近なところにあるように想います。そして私自身、自分がどんなに辛くても回りにもっと辛い人がいたら、優しい言葉をかけてあげられる人間になりたいなshine

2009年7月 3日 (金)

久しぶりのブログです

しばらく、ブログを休んでいました。

それだけ余裕が無い日々と言えばそれまでなのですが...

忙しいといえる状況に感謝しながらも、忙しいからこそ陥り安い落とし穴もあるのが現実です。

一つ一つの仕事に対する対応がきちんと為されているか。

仕事の段取りから対応、出来映えはどうか。

相手の要望にきちんと応えられているのか。

そうした目先の実務に追われ過ぎていると、先の仕事への対応が遅れてしまう場合もあります。

少し先を見据えながら、必要な打合わせや書類作成を進め、限られた人の中で、どうやって効率よく仕事を進めていけるのか。

そして、社員に負荷を掛けすぎているとするならば、社員の皆さんへの気配りも大切な要素になってきます。

こうした短期的な対応から、中長期的な会社の方向性も考えていかなくてななりません。

やらなければならないと想っていながらも、まずは目先のハードルをクリアーしていかなくては、しっかりと前に進んではいけませんが、目指すべき方向が間違っていては何の意味もありません。

こうした両輪をしっかりとさせながら、混沌とした厳しい時代の中にあっても、道を失わずに未来に向けて歩みを進めていきたいものです。

時代のニーズや変化に機敏に対応していくためには、会社のトップがきちんと変化に対応できる柔軟な発想と対応力を身につけていなくてはなりませんし、仲間の存在も大切な要素です。

この30代という今に、どれだけの経験をし、どれだけの仲間を創り、どれだけ自分自身を高めることが出来るのか。

まさに、日々修練です

2009年6月13日 (土)

何故か不思議と

何故か不思議なのですが。

仕事やその他の事も含めて、充実した状態で忙しいと、何か不思議なモチベーションというか力が湧いてきます。

後から後から様々な事にぶつかっても、仕事にやり甲斐を感じていると、苦しさよりも充実感が先にたって、高い状態でやる気が維持できて、様々な壁を越えていきます。

それに比べて。

トラブルや失敗がからんだり、やりたくない... と精神的に落ち込むと、トタンにパワーがダウンして、全てが嫌々な感じになってしまいます。

そんな状態だと、全てが苦痛ですよね。

同じ仕事をしていたとしても、自分の精神状態で、良くも悪くも感じられるのだと想います。

自分が為すべき事にやり甲斐を見つけて、自らやろう! という前向きな気持ちを持てること。それが、何事においても大切なことなのだと実感しています。

話は変わってテニスの話題に。

ついに、フェデーラーが全仏オープンテニスを制しました!

年間グランドスラムを達成し、4大大会の優勝回数でもサンプラスに並びました。

最近なかなかテニスをする時間がとれませんが、こうした個人的に嬉しい話題があると、またテニスに対するモチベーションが高まってきます。

なんとか、時間を創ってテニスをしたいですねshine

2009年6月 2日 (火)

過去と未来と

何か大変な事や辛いことにぶつかると、これから先の事を考えて、誰しも不安になるし、投げ出したくなる時があります。

ただ、そうした中でも一筋の光明を探すべく頑張って行動していると、仲間達にも助けてもらったりして、少しずつ物事が良い方向に動き出していきます。

こうして、皆と感動を分かち合うことができるような素晴らしい経験をすると、途中の苦しかった記憶よりも、やり遂げた事に対する、喜びや満足。そして達成感の記憶の方が大きなものとして心に残っています。

どうしてなのでしょう。

人は苦しい記憶よりも、嬉しいことや感動した事の方が心に残るものなのでしょうか。しかし、それで救われますし、頑張る力も湧いてきます。

少しでも良い状況を創るために、一生懸命に今を頑張っていくこと。

毎日の積み重ねが、5年先、10年先の大きな財産になっているように想います。今頑張ることが、将来に向けての大きな投資になるのだと想います。

家族のため、会社のため、地域のため。 それらは、どこかで自分のためになって、いつの日か戻ってくるのだとそう考えています。

2009年3月21日 (土)

10年前と比較して

先日、資料作成の必要性から、ちょうど10年前(平成11年)の労務単価を改めて目にする機会がありました。

この労務単価は、普通作業員や大工,一般運転手など、公共工事の積算に使用される単価で、その職務内容に応じて細分化されており、51種類に分かれています。

この労務単価の他に、歩掛かりといって、例えば幅300・深さ300の落蓋式側溝を100m施工するのに、どのような労務や機械そして材料が発生するのか、その作業条件によっての数量が定められています。

こうして積み上げられた本工事に関わる「直接工事費」に、仮設や安全、各種調査に関する費用の「共通仮設費」や、法定福利等の「現場管理費」、会社本体の経費としての「一般管理費」が加えられて工事価格が決定されます。

かなりおおざっぱに書いているので、イメージとして分かり辛いかもしれませんが、要は各種調査結果に則って、工事を実施するのに必要とされる工事価格が積上げられているということです。

話を戻しますが、それでは例えば普通作業員の単価は、ここ10年間でどう変わったでしょうか。

普通作業員の単価(岩手県)を見てみると、21,600円/日(平成11年度) が、12,700円/日(平成20年度)に下がっていて、下落率は58.8%になります。

そして、この労務単価の下落は、ここ10年間毎年続いています。

例えば花巻の中心的な工事である下水道工事に、平成11年度と平成20年度の労務単価を入れて比べてみると、労務単価の違いだけで、工事費が20%以上も安くなっていました。

材料に関しても各種メーカーの厳しい競争環境の下で、設計価格にも反映されている通りの値下げ傾向ですので、実際のコスト縮減は更に大きいように感じます。

ここ10年間で、労務単価の40%以上の下落と、工事費換算でも、コスト縮減率が20%以上という積算の結果。

もちろん工事の種類によって数字を一概には言えませんが、労務単価の減少分だけを考えても、かなりのコスト縮減=会社や材料メーカーの利益の減少と考えると、愕然とするものがあります。

この利益減少分は、給料の低下や各種経費の削減等で補ってきているのですが、給料を下げるから設計労務単価も下がるという、マイナスのスパイラルに落ち込んでしまっているのが、今の建設業の現状です。

この現状を裏付ける数字として、平成19年度の建設産業(岩手県)における経常利益率は -2%を越えており、急激な環境変化に対応しきれず、赤字の会社が多くなっている現実が伺い知れます。

更に追い打ちを掛けるように、技能工の高齢化が進み、雇用を控えるが故に若手への技術の継承が進まず、設備投資も抑えている中で機械・車両等の老朽化や減少が進み、会社としての体力が益々なくなってきています。

こうした建設産業の現状を考えたとき、今のままで良いはずがありません。

地域の皆さんの生活を便利に安全にするインフラ整備や、建物の耐震化、道路や橋梁等の長寿命化にするための維持管理。そして、除雪や災害、破損への対応等、多くの社会的な責任を果たさなくてはならない建設産業。

オバマ大統領がいうチェンジが求められている中で、光明を見いだす糸口が必要です。技術力を継承させながら、地域社会に対してきちんと役割を果たせるような人財と設備を有し続けていくためにも、業態の幅を拡げていくことが不可欠と考えています。

給料や社会保障を含め、社員の皆さんの生活を安定させ、地域社会に貢献し続ける企業であり続けるために。 

この地域における モノ・人という資源に目を向けて、業種をも越えた連携・協働に活路を見いだし、こうした地方における一つのモデルケースを構築していく事が今の目標です。

厳しい道と分かっていても、一歩を踏み出す勇気を持って。

 

2009年3月20日 (金)

学生達の可能性

昨年、フラワーロールちゃんや、興花祭といった高校生との協働事業を行ってみて感じたことです。

青少年育成も確かに大切なことですが、大切に育てた青少年が地元に残れる環境に無いのが地方の実情です。

地方が元気になって仕事も多くあって、生活環境に対する魅力が高まれば良いのかもしれませんが、一朝一夕に出来るモノではありません。

そうした中で、学生達に対して出来ることは何か。

この地域の良さを再認識していく中で、自分が生まれ育ったこのまちに愛着や誇りを持ってもらうようにする社会活動を経験してもらうこと。

そして、そうしたプラス面だけではなく、商店街のシャッター通りの現実や、農業の後継者不足の実情などを、実際に話を聴きながら実体験をしてもらうこと。

そうした経験の中で、この地域の為になんとかしたいという気持ちが、湧き起こってくる人がいるはずです。

現に、昨年の高校生との協働事業を通して、高校生の皆さんはこの地域の為になんとかしたという気持ちが高まっていきました。

商店街の厳しい状態を知るだけではなく、商店主の皆さんから話を聴いてくれてありがとうという暖かい感謝の言葉をかけてもらう中で、志が高まっていったのかもしれません。

こうした高い志を、心のどこかに持ち続けていてもらえたならば、

大学を終わって、都会で頑張る中で技術と知識を学び、地方に戻ってきて起業する人が出てくるかもしれません。

様々な家業を継ごうと想う人が増えるかもしれません。

行政の立場から、まち創り・ひと創りに力を注ごうと決意する人もいるはずです。

様々なキッカケを与え、子供達が自ら考える機会を増やしていくこと。

昨年の協働事業や、今年のUC(ユナイテッド・チルドレン)の事業を通して、学生達の大きな可能性を感じている今日この頃でしたshine