特別な日
3月11日は私にとっても特別な日です。
今朝の朝礼の際には、社員の皆さんと黙祷を捧げさせて頂きました。
今ではお盆のお墓参りの時など、故郷の高田を訪れる機会は少なくなってしまっていますが、中学校まで陸前高田で過ごした想い出は消えることはありません。
お墓が高田にある関係で、お盆には子供達と毎年高田の風景を見てきたのですが、震災前まではいつもの見慣れた景色に懐かしさを覚える程度でした。
母校の高田小学校を見ながら坂を登って、お墓がある高台から高田の街並みや高田松原を見ると、昔とあまり変わらぬ風景に心が温かくなったものです。
それがあの震災によって、一変してしまいました。
震災の6日後、親類がお世話になっている避難所に救援物資を届けにきた時に、お墓の状況を確認するために高台に上がった時の写真です。
ここにたどり着くまでにも信じがたい惨状を見てきたのですが、この何も無くなってしまった景色を見たときにも無性に涙が溢れてきた事を想い起こします。
・平成23年3月
子供達はその年の8月に高田へ連れていきました。
子供達には、以前は眼前の風景に街並みや松原があったものが、震災後にこうなってしまったことを話して聴かせました。
・平成23年8月
この写真は、翌年の8月に双子の兄貴と年祝いに参加した際のものです。
震災の関係で1年遅れての年祝いではありましたが、亡くなった同級生にはもう会えないことが無性に悲しかったです。
ただ、懐かしい顔ぶれに会えた事は本当に良かったです。
何もない中で、緑の草だけが一面に生えている景色が印象的でした。
・平成24年8月
翌年のお墓参りで高田を訪れた時の写真です。
この風景を見ている子供達には、今見ている風景が当たり前にしか感じられないのだと思います。
そこで生活していて昔を知る私とは、同じ風景を見ても当然ながら感じ方が違ってきます。
・平成25年8月
写真に写っている左側の造成地は、復興公営住宅の予定地だった場所です。
昨年の8月に訪れた際には、復興公営住宅も殆ど完成していました。
・平成26年8月
市街地があった場所の盛土も進んではいるのですが、規模があまりにも大きすぎて、完成まではまだまだ遠い道程のように感じられてしまいます。
我が家の子供達にとっては、これから新しく生まれてくる街並みが、高田市のイメージになっていくのでしょうね。
子供が元気に駆け下りていく階段の先に、笑顔溢れる新しい町が一日でも早く誕生することを心から願ってやみません。
我が家でも3月11日は震災の話になります。
子供はいまいち惨状を理解できていないのですが、当時身重だった妻と、私にとっては恐怖の一日となったことを覚えております。
忘れないようにしなければならない事ですが、事の重大さも同時に記憶に残すべき、そして、子供に伝えていく事が大切かと思っております。
投稿: □崎 | 2015年3月12日 (木) 18:08
いつもコメントありがとうございます。
こうした日に思い起こすことが大切ですよね。
自分も当時の事を想い出したいと考えて、過去を振り返りながら今回のブログを書いたところでした。
投稿: sasa | 2015年3月12日 (木) 18:46