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2011年4月 5日 (火)

継続的な支援体制

先日高田を訪れた際に、陸前高田社会福祉協議会及び全社共から応援に入っている方とお話をする機会がありました。

そこで話があったのは、陸前高田社会福祉協議会の主要な方々が亡くなり、資料やデーター、通帳までも全てが無くなった中から災害支援活動を始めているということでした。

市からの財政的な支援が今年から無くなったことに加えて、今までの収入源であった介護などのデーターや資料も無くなってしまっています。

現在は外部からの支援(全社共,県社共,その他NPO関係の皆さん)があるので本当に助かってはいるが、こうした収入源が無い中で継続的に組織を維持し、活動をしていけるか不安が大きい現状があります。

現在、災害支援に関する相談窓口やVC(ボランティアセンター)としての機能を有していますが、そうした事務委託費などの経費を頂くなどしながら、なんとか行政のサポートを早急に受けていく必要性を感じました。

また、全社共の応援の方と話をしたのですが、今回の陸前高田の被災状況を考えた場合、今までの阪神大震災や中越沖地震といった従来の考え方に則った支援の仕方では、上手く機能しないと考えているようでした。

今日も高田に行った際に交通渋滞が起こっていましたが、多くの方々が車で被災地に入ることも難しく、ボランティアの受付をするにも現在の場所ではあまりにも狭すぎます。

これは、行政機能も同じで、給食センターや仮設庁舎では、従来の市役所などのスペースから比してもあまりにも小さすぎて、余計に横の連携などが取りづらくなっているように思います。

その方のお話しでは、より内陸に近い別な場所にボランティアの受付拠点を創り、陸前高田の中に各拠点を設けて、全体をサポートするようにしていきたいとの構想でした。

そして、通常のボランティア以上に長期的に被災地の皆様に寄り添って頂けるような活動が必要で、複数の団体や組織と連携しながら、継続的に必要とされるボランティア活動が実施されていくような体制が必要だと話されていました。

ただ、実際に陸前高田に来ても宿泊場所も、ご飯を食べるところも殆どない状況です。従って、こうしたボランティア活動を後方から支援してくれるような活動も、大切になってくるかもしれません。

様々なお話を聴きながら、ボランティアとして求められる部分が、単なる受け身ではなくて、被災者の人達と話をしながら自らニーズを探していくことが大切だと思いました。

被災者の人達からのニーズが出てこないからといって全く無いのではなくて、潜在的なニーズがあってもそれをお願いする気持ちになれないのだと思います。

こちらから、どうな手を差し伸べていくか。そうした意識が大切に想いました。

 

2011年4月 4日 (月)

仮設住宅の考え方について

4.2(土)に、2名の先生方と共に、住田町の仮設住宅(木材のプレカット,集成材利用)の現場やプレカット工場を回り、住田の多田町長ともお話をする機会を得ました。

住田町及び陸前高田市には、地元の木材を使ったプレカットの工場があって、24時間体制で仮設住宅やその他のニーズに応えるべく、仕事をしておりました。

仮設住宅に関しては、多田町長のお考えの下、100棟を作る計画があるそうです。

震災当日からの陸前高田、大船渡への住田町としての支援実績をお聞きし、とにかく出来る限りの最大限の援助をしようというその思いやりと行動力に深い感銘を受けました。

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この仮設住宅は、2LDKの間取りで、水洗トイレやお風呂もついていて、壁には断熱材も入っています。基礎はプレハブタイプの仮設住宅と同じく木材を使用した簡易タイプで、壁も木材でむき出しになっています。

私は建築の専門家ではないからですが、基礎をコンクリート基礎にして外壁を張れば、10年以上は余裕で持つような市営・町営住宅にも出来そうな感じでした。

かなりなローコストで出来るのですが、現実的には建築の確認申請や土地の問題もあり、申請に時間を有してしまうことが問題だとは思います。

しかしながら、2年で退去しなければならない仮設住宅よりも、今回のような類を見ない震災からの復興が5年、10年、あるいはそれ以上掛かる可能性がある中で、こうした公営住宅も必要ではないかと考えます。

この木材を利用した住宅のメリットは、地元材料が多く使われ、しかも建築に関わる人は全て地元の人間だけでも賄えるということです。

仮設住宅の生産能力も1日に20棟以上出来る話ですので、地元経済の循環を考えても、こうした着目点が大切だと想いました。

地元だけで人手が回らない時は、内地からも応援に入ることも必要でしょうし、サッシや断熱材なども含めた材料の安定的な入荷も必要になります。

こうしたことはクリアーできる範疇だと想いますので、その地域に応じた実情も考慮し、より地元経済を回すための復興支援の一つのあり方として、県でも採用を検討していって欲しいものです。

 

2011年4月 3日 (日)

4.2(土)避難所の状況と今後

昨日、県議会の先生2名及び地元の元市議の方と3名で市内の各箇所を回りながら話を聞く機会がありました。

その時の話を元に私見を加えて、現在の状況を記載しておきたいと思います。

高田一中は市内でも最も多い800名の方が現在も避難している状況で、今後周囲の避難所との統合が進んでいくことと、仮設住宅に移っていくことの状況を考えても、しばらくはこうした状態が続いていくことと思われます。

食事は、保育所の栄養士の方1名をチーフに、後はボランティアで食事を作っています。今後、こうした専門職の方も仕事に復帰していくことを考えると、自衛隊や給食センターなど公的な形できちんと食事が提供されることが必要だそうです。

現在は冷蔵庫や冷凍庫などの保管施設がある分けでもなく、半ばボランティア的に800名もの方々の食事を作っていますが、これから暖かい季節になる前に、きちんとした管理の下で食事が提供されていかなければ、様々な衛生上の問題も懸念されます。

避難生活が長期化していく中で、生鮮食品や調味料も不足し、日用品も不足している状況です。

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お風呂に関しては、米崎小学校の自衛隊のお風呂に行くのですが、陸前高田市内にこの仮設のお風呂が一つしかないので、まともな順番でいくと、1ヶ月に1度入る計算になるそうです。

ただ、県内の様々なボランティアの方々のご支援を頂き、送迎バス付きでお風呂に行くことが出来ていますので、実際にはもう少しお風呂に入る頻度は高くなっています。

陸前高田市の場合、インフラの中でも水道の復旧が一番大変で、市内の8割をまかなっていた水源が失われ、今後の安定的な水確保が大きな課題となっています。沢水や井戸水などの簡易水道を利用しながら、今後復興を目指していくことになりますが、地域的には井戸水に頼るしかない場所もあり、まだまだ時間が掛かると思います。

在宅の方々も状況把握が進んでいないため、避難所以上に厳しい状況に置かれている人がいるであろうことも心配されていました。

長引く避難所生活の中で、団結力もあり、本当に我慢強く頑張っているという話がありました。

ただ、今後の避難生活だけでなく、学校の問題にしても、何かしらの不便を我慢しながら皆が生活を続けていくことになるため、少しずつでも状況が改善し、何かしらの希望を持てることが大切になりそうです。

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陸前高田商工会に所属している9割以上の会社が無くなってしまった現実の中で、これからどうやって商店街を復活させ町の機能を創ることができるか、イメージ出来ないそうです。

仮設住宅は2年の期限ですが、水産業にしても農業にしても、この短い期間で再建していくことはとても難しいという話もありました。

家に関して、地震保険に入っていたとしても全額保証される訳ではなく、ローンを抱え働く場所も無いような状況下で、本当に生活再建を果たしていけるか、不安が先立つこともその通りだと思います。

こうした先が見えない中で、国が掲げる「夢を持った計画」の前に、現実的且つ具体的な復興のプロセスをまずは早急に示して欲しいと切に願います。

 

2011年4月 2日 (土)

4.2の活動

金曜日から双子の兄が神奈川から戻ってきました。

土曜日に高田の避難所に物資を届けようと、奥さんと二人ですごい量の物資を買ってきてくれました。

ドライシャンプー,清拭料,体拭用のウエットタオル,モンダミン,化粧水や乳液,下着,肌着,靴下,タオル,缶詰,日用製品など。 

どれも段ボールで一箱分はあって、何カ所も向こうでお店を回って揃えてくれたよですが、こうした物は向こうでもあまり売ってないようです。

今被災者の皆さんが欲しいものは、通常の支援物資では揃わないものが多く、こうやって買い揃えなければいけない現実があります。神奈川でも揃わないくらいなので、こちら花巻でも手に入らないものも多いです。早く、こうした物流も復活してもらえれば良いのですが。

私の車と兄の車に物資を積み分けて、高田一中まで一緒に行きました。私は、県議会の先生二人と高田の様々な場所を回る予定があったので、一中からは現地でボランティア活動をしている弊社の従業員に道案内をしてもらいました。

会社の幌付きの軽トラックを持っていかせているので、私の車の荷物を分けて、道案内をしながら配ってもらいました。

最初の高寿園だけでも、お風呂のニーズが高いだけあって、ドライシャンプーや体拭きは全部でも欲しいという感じだったそうですが、他の避難所も回るので我慢して頂いたそうです。

お年寄りが多い避難所ではこうしたニーズが高いとは考えていたのですが、本当にその通りです。他にも希望が丘病院,和野会館,下和野会館を回って物資を置いてきたそうです。

回りながら欲しい物を聞いたところで、鍋やズボン、少しお風呂にも行けるようになったのでシャンプーなど、様々な要望があったそうです。

早速、高田から戻ってくるなり、兄たちはそうした物を買いそろえていたようで、日曜日に神奈川に戻りながら、高田を経由して置いて帰るそうです。

前日に欲しいという話を聞いて、翌日にこうやって届けることが出来れば、本当にタイムリーなニーズに応えているのでとても有益なことです。

ただ、殆どは足を運んでニーズを聞いてそれに応えているため、答える事が出来る機会は決して十分ではありません。

以前からの課題ではあるのですが、ボランティアや物資に関するニーズを吸い上げながら発信していく仕組みの構築が必要です。

それに対して社会福祉協議会の皆さんが、こうした事に対応しようと努力をされておりますが、地元に精通した方々が多く亡くなられてしまっているために、時間が掛かってしまっています。

携帯電話のエリアも日々拡大する中で、こうやってニーズを頼みやすい信頼関係を構築し、横の情報連絡がスムーズに図られていけば、より良い支援活動が実施出来るようになっていきます。

こうした所にも、支援の輪が拡がっていって欲しいものです。

 

 

 

2011年4月 1日 (金)

新しい歩み

本日は4月1日です。

厳しい冬を乗り越えて春の訪れがより強く感じられる中で、23年度に向けての新たな一歩を踏み出しました。

 昨日までよりも、昨年までよりも、少しでもより良い自分であり、会社でありたいと想います。

こうした向上心を大切に、お客様の立場で物事を考え、しっかりとした技術を通して信頼され、地域の皆様から真に必要とされる会社であり続けることを目指していきます。

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先日、マイヤの移動販売開始という嬉しいニュースがありました。今日鳴石団地の中を通ると、商工会議所の仮事務所、仮設の郵便局に加えて、岩手銀行も仮店舗の準備をしていました。

私達の建設業や、電気業の関係の事務所もありますし、徐々に様々な新しい動きが感じられます。

少しずつなのかもしれませんが、確実に前に進んでいる感じを受けました。

これは、3月30日に陸前高田を訪れた時に咲いていた梅の花です。(間違っていたらすみません)

例えどんな事があっても、時がくれば春になり、夏になり、秋を過ぎて冬になります。自然は歩みを止めはしません。

人の力ではどうすることも出来ない自然が持つ大きな力を感じた時、今まで以上に自然との共生を考えていかなくてはならない気がしました。

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2011年3月31日 (木)

想うこと

私達の会社では、行政の年度に合わせて3月31日を締め日にしております。

平成22年度を思い起こしても、受注競争の激化に始まり、夏の異常的な暑さと冬の大雪、そしてこの忘れる事の出来ない大震災と、本当に大きな環境の変化に向き合わなければならない一年でした。

こうした自分達の会社を取巻く環境を変えることは出来ません。だからと言って、どれだけ自分自身を変えることが出来たのかと、自問自答してしまいます。

私の中でも、弱い自分と強い自分の心の葛藤がありますし、人は考え始めるとマイナスにばかり考えてしまいます。 どうしても、不安な事や心配なことばかりが先に立ってしまう時もあります。

そんな自分自身がどうであっても、翌日には朝がやってきて、自分が為すべき事に向き合わなければなりません。

そうした葛藤の日々の中にあっても、行動していくことを止めてはいけないのだと、そう心に決めています。

諦めずに行動さえ続けていけば、どんな小さな歩みでも、確実に前に進んでいくことができる。

ただそこには道標も必要であって、進むべき方向を示してくれるものがなければ、目的の所まで辿り着くことができません。

こうした状況下にあって、本当に多くの大切なものを失ってしまった人々に、これから未来に向けて歩んでいくための道標が示されなければ、歩み始めることが出来ない人も多いのだと想います。

前を向いて進んでいくための道標が、様々な形で早く示されていくことを願っております。

 

 

2011年3月30日 (水)

陸前高田の親類を回って

今日は私の両親と共に、陸前高田の親類回りをしてきました。

親類の人達から様々な話を聞きながら、あんな所まで、しかもこれ程の大きな津波が来るなんてことは、誰も予想が出来なかったことを改めて痛感させられました。

運良く助かったという話を聞く度に、本当にちょっとした差でこんなにも多くの方々命を落としていることに、単なる津波の恐ろしさを越えて、あまりにも無情な現実に愕然としてしまいました。

両親とお墓に花を供えて手を合わせながら、無くなった方々のご冥福をお祈り申し上げてきました。

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各避難所を回りながら気がついた点ですが、今までよりも避難所にいる公的なスタッフの方が増えている感じを受けました。受付できちんと誰が来たのかを確認したり、被災者のプライバシーにまできちんと配慮している避難所もありました。

今日は高田の中でも主要道路に面しているところでしたので、地域間格差は大きいと思いますが、少しずつ人的なサポートも増えてきていることを実感致しました。

社会福祉協議会にも寄ってきたのですが、先日心配をしていた携帯電話が、4台程早速届いていました。

今後、この携帯電話を各部門毎に割り振って、各避難所にチラシを配りながら、ボランティア等のニーズを聞いていくそうです。

不足物資としては、野菜や生鮮食品はどうしても不足しておりますし、肌着,下着も不足しているようです。

電気が通ってない地域においては、乾電池やロウソク,着火マンのニーズもあります。

電気が未だに通ってない地域や、家が残っていてそちらに避難している方の状況など、詳しい状況が分からない点も多いのですが、私の方で知り得た情報は今後も発信させて頂きます。

2011年3月29日 (火)

携帯電話に関して

陸前高田において、ほぼ全域で携帯電話がつながったという嬉しいニュースが流れてきました。

衛星電話だと数も少なかったため、これからはもっと情報交換や情報共有がやり易くなっていくのだと思います。

ただ、今のところ皆さん個人の携帯電話を使って連絡のやり取りをされている状況でした。

日曜日に高田を離れる際に、携帯電話の管理をしっかりと行うことの前提で、各避難所に公用の携帯電話を置いてもらうようにお願いした方が良いのでは? と話をしてきました。

皆さんの善意で個人の携帯を使っていることではありますが、適切な料金プランになっていることはあり得ませんので、請求金額を見て驚くような状況になれなければ良いと心配をしてしまいます。

今まで当たり前に使っていたライフラインにしても、こうした携帯にしても、使えない時の対応を普段から考えて備えておく必要性を強く感じます。

今の生活があまりにも便利になりすぎて、その状況が失われた時の私達の弱さを痛感させられました。こうした今の気持ちを、決して風化させてはいけないと想います。

コメントで頂いた情報です(3.29)

コメントで頂いた情報です:
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3月27日、神奈川県から陸前高田市気仙町・湊 避難所(月山神社、二日市公民館)に行ってきました。

行路は東北自動車道、水沢ICを出て、343号線に入り矢作を通り竹駒を目指します。 竹駒の手前の「まったて橋」手前300メートルで右折し、線路をを通って狭い道路を進み45号線に入り月山神社に入りました。 

行政機能が混乱する中、本人証明ができない義兄の被災証明、住民票、仮設住宅申し込み済ませ、義兄を連れて神奈川県に戻ってきました。 被災証明があるとどこの医療機関も無料なそうです。 神奈川は一時避難先として市には報告しました。
 
高速自動車道は、小さいPAの方が給油可能でした。大きいSAは長蛇の列でした。 水沢市内の給油所は閉鎖しておりました。市内の給油所は無理だと思います。


コメント投稿者名: Aikougunaikawa

2011年3月28日 (月)

高田での支援活動を通して(所見です)

先週末に陸前高田に入っていましたので、その活動報告及び私見を記載させて頂きます。
 
主に高田一中と長部地区しか見ることが出来ていないからですが、震災発生後2週間が過ぎて、各避難所の状況は安定化している地域(長部地区)と、状況が悪化している地域(高田一中)に分かれ始めており、食料については、野菜や生鮮食品等の不足が顕著になっています。
 
長引く避難所生活でのストレスに加えて、システム的な問題もあるように感じるのですが、状況が悪化している所は、災害当初から行政が入ることが出来なかったため、やむを得ずボランティア組織で自治会を作り、全てを自分達で運営しボランティアだけに頼る組織のあり方となっております。
 
震災でこれだけ多くの行政の方が亡くなってしまう状況は、本当に想定外だったようです。
そして今、震災後2週間を経て、中心だった人達がボランティアだけをやっている訳にはいかない状況になっています。
 
長部地区の自主防災組織のように年配者が中心になっていれば良いのですが、高田一中では若い人達も組織の中核になっており、自治会長も自分の仕事もあるために組織の縮小と再編をしなければならないようです。
 
これは、避難所のシステムが安定化しているとも捉えることができるのかもしれませんが、現実的にはやむを得ずといったところです。
また、被害が少ない地域は良いのですが、被害が甚大な地域では亡くなった方も多く、避難所のみの支援しか行われていない状況で、家に戻っている人達の生活の把握が実施されず、自宅に戻った方々の生活が著しく悪化している話も聞こえてきます。
 
こうした状況を早期に解決したくても、頼りになる区長さんや地元民政委員の方々も亡くなったり、家や家族を失った状況下にあって、力を無くしてしまっている方もいらっしゃいます。
 
社会福祉協議会にしても、福井社協や全国,岩手県の社協が支援に入って、県立大学のボランティアサークルが、本当に頑張ってくれています。
ただ、地元に根差した人達ではないことや、人手的にも足りないために、自分達が考えている活動をやりたくても出来ない状況にあり、様々な対応に遅れが生じたりする場合もあります。
 
行政は、まさに不眠不休な状態らしく、本当にギリギリの中で仕事をされており、全体的にシステムを構築したり、改善していく余裕が明らかに無くなってしまっています。
 
私自身の活動は、身内を亡くしたにも関わらず震災当初から頑張っている陸前高田青年会議所メンバーの2名を支援しつつ、ブロックとのパイプ役になるために、社会福祉協議会のVC(ボランティアセンター)
関係のお手伝いをしてきました。 
 
そうした事に加えて、建設業協会の関係もあって、陸前高田支部のサポートも出来れば良いと考えて情報交換などをさせて頂いておりました。
 
このような大震災であるにも関わらず、ボランティアの要請数は非常に少ない状況です。
介護関係などの専門を除いた場合、一般のボランティアで求められているのは1日に10名にも満たないため、各避難所を周りながら、逆にボランティアニーズを聞いているような状況でした。
 
地域的にも自分達の事は自分達で出来る限りやろう! そんな意識が強いようにも感じていますし、料理を作るにしても逆に外部の人がいない方が、気を遣わなくて良い。そんな、外部に入って欲しくない場合もあるようです。
こうした状況もあり、しっかりと長期的に高田の復興のために力を尽くしてくれるボランティアの人がいれば、ネットワークや信頼関係を構築することもできて、また違った人的支援が出来るように思います。
決してニーズがない訳はないのですが、自分達で出来る限りのことをやろう!そんな前向きな強い気持ちを感じることも多々ありました。
 
携帯がつながらない被災地域も多いため、日々変化するニーズをVCでも把握しきれておらず、昨日必要と言われたにも関わらず今日になったらいらないという場合もあって、避難所との電話によるネットワークの構築が必要だと考え一部で実行してきました。
 
ニーズとしては、お風呂や燃料といったものがあるのですが、お風呂を提供するための水が不足し電気も通っていない地域があるため、簡単に解決できなことも多いです。
 
ただ、いろんな支援の話があるので、上手くマッチングさせていけば、今の状況をより良くしていくことも出来るという、可能性も感じさせて頂きました。
 
結びになりますが、
 
従来のシステムとは違う公的なお金を注入した、安定的に必要とされる支援物資の配布が必要です。
 
必要とされる組織の再編を早急に実施し、地域に仕事を創出しながら生活再建を果たしていく内発型の復興を果たしていって欲しいと心から願っております
注) 私の所見で記載させて頂いておりますので、あくまでも一つの情報として捉えて頂ければ幸いです。