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2011年3月27日 (日)

人とのつながり

今日も陸前高田で自分が出来ることをしていく中で、様々な人とのつながりのありがたさを感じずにはいられませんでした。

自分一人の力は微力でも、協力してくれる人やサポートしてくれる人がいることで、物事が上手く進んだり、物事を実現していくことが可能になります。

被災地では、様々な課題や問題点があります。

そうした状況を少しでも良い方向にしていくことが出来るようにするために、そして少し先に発生するであろう問題に対して、早めの対応をしていくためにもネットワークが必要になります。

被災地を巡っていても、人と人との助け合い、お互い様の心が強く感じられる時が多々あります。

日本人の素晴らしい精神性が、より大きな復興への力になっていくことを願っています。

 

2011年3月26日 (土)

3.26の報告です。

今日は、陸前高田の高橋理事長に同行を頂いて、長部方面の各避難所を回ってきました。

被災した人達の今の状況をまずは知ることから始め、これから何が出来るのかを考えていくためにも様々な情報を得てくるつもりでした。

この長部地域では、7~8年前に自主防災組織が創られ毎年その組織をしっかりと再構築してきたこともあって、情報伝達の仕組まで出来上がっていて、共に助け合って前向きに頑張っている姿が印象的でした。

これから復興へ向っていく中で、地元の人達が中心となり、更には新たな仕事の環境を創り上げながら、自分達が生まれ育った土地で住み続けることが出来るようにしていくこと。

そうした仕組みも必要になってくると思います。

この長部地区は、このエリアにいる人全てが、被災者という考え方をしています。

地震当初は家が残った人が被災者の人達を助け、家があっても食料がない人が増えてくれば公平に支援をしています。

これからも、お互いに支え合いながら、様々な困難を乗り越えていくのだと想います。

また、各避難地域に物資を届けたり、各避難所を支援したりと、自衛隊の皆さんの活動が無ければ、避難生活はなり立たない地域が数多くあります。

海外においても自衛隊の皆さんの災害支援は高い評価を得ていますが、これだけ迅速に様々な仕組みを整え、殆ど休み無く活動をされていることに、改めてその存在の大切さを実感させて頂きました。

 

2011年3月25日 (金)

3.25 本日の報告です。

本日も陸前高田に支援に入っています。

 陸前高田一中だと、フォーマカードでインターネットに接続できました。こうして、本日の報告をさせて頂きます。

陸前高田一中は、仮設住宅の建築が急ピッチに行われています。入居者は抽選とのことですが、数に限りにがある中ではそれ以上にどうしようもありません。

避難所での団体生活から、プライバシーが保てる環境で生活をしたいと考えるのは当然のニーズです。内陸部の市営・町営住宅などの受け入れも必要になってくるかもしれません。

 今日から少し本格的に動いてみようと、昨日回った経験を活かして、社会福祉協議会や地元建設業協会高田支部を回りながら、親類を訪ねることが出来ました。

社会福祉協議会では、様々なボランティアの方々が頑張っていて、経験ある方々に加えて、学生のフレッシュな皆さんも頑張っておりました。 現在ボランティアの登録人数は15名程度ですが、実際に発生しているニーズに専門的なことも多く、また充分にニーズを吸い上げられていない現状があります。

そして、各避難所からのニーズも日々変わっていきます。 こうした要望をしっかりと調査し、迅速にどれだけ対応していくことができるかで、効果的な支援が実現出来るかどうか決まってきます。

 明日から長部方面で、青年会議所はこうした活動をしていく予定です。 本日話をした限りでは、お風呂に定期的(1回/週間)にしか入れないため、水を使わないシャンプーや、体を拭けるボディーシートやウエットティッシュが欲しいという話が、複数ありました。

地元建設業の皆さんの中には、社長さんが亡くなられたり、会社が流されてしまった方々います。そうした状況下にあって、地元の要請に応えるべく、半ばボランティア的に頑張っていらっしゃいました。

金銭面や燃料、資材面など、効果的な支援が求められるところです。

3.25 陸前高田支援へ

今日は、昨日陸前高田を訪れた際の情報を下に、必要とされる物資を調達しながら陸前高田に向かいます。

陸前高田JCの中核として活動されている方々は、それぞれに身内や親類の方を無くし、家や会社も無い中で、震災当日から毎日頑張っています。

こうした志の高い人達の負担を少しでも減らせるようにとの想いもあり、本日から2泊3日の予定で支援に入り、来週以降も可能な限り高田に赴く予定です。

昨日、一緒に高田に行った若手従業員は、花巻出身ではありますが陸前高田で大工さんの仕事をしていた経験があり、竹駒町の方をお嫁さんにもらっています。

そんな縁があるということで快く承諾の返事を頂き、土曜日までに諸準備を整えて、日曜日から物資配送用の弊社の軽トラックを持って、私と共に本格的に支援活動をしていく予定です。

こうした経験が、きっと若手社員の将来にもつながると考えています。

一人一人が出来ることは例え小さいことかもしれませんが、支援の輪は着実に拡がっていますし、それが重なりあって大きな力になってきています。

そして私達も、前を向いて頑張っている被災者の方々から、大きな力を頂いています。

2011年3月24日 (木)

3.24陸前高田へ

これから支援を本格化していくための情報収集と段取りのために、弊社の高田に縁がある若手従業員を連れて陸前高田に行ってきました。

3日前に陸前高田を訪れた時よりも道路幅が拡がっていて更に走り易くはなっておりますが、歩道がないために歩行者や自転車が通っていますので、かなり慎重な運転になります。

携帯電話も、当初のAUが強い状態から、今ではドコモの方がエリア的に繋がるようにまで回復してきてはいるのですが、陸前高田市内は一部でしか繋がらない状況が続いています。

本日の高田入りは、向こうで震災当初から頑張っている陸前高田青年会議所メンバーを支援しながら、陸前高田社会福祉協議会の方と打ち合わせを行い、青年会議所岩手ブロックの人的支援を受け入れる基盤をつくることが目的でした。

陸前高田の高橋理事長に案内をされて社会福祉協議会に行くと、こうした災害時の支援経験のあるボランティアリーダーの方々や、岩手県立大学のボランティアの方々が活動されておりました。

こうした専門的な方々がいらっしゃることは、経験の少ない私達にとって本当に助かるサポートになります。

広田方面には、福井県のボランティアグループが支援活動をされているようで、私達青年会議所は湾を挟んで反対側に位置している長部地区を支援していくことになりました。

本日は、岩手ブロックの佐々木会長を始めとして、副会長の皆さん、そして一関青年会議所の理事長さんも午後から陸前高田を訪れ、明日からの具体的な支援について打ち合わせをされていきました。

私達は、陸前高田青年会議所メンバーに案内をされて、支援対象地区である長部小学校を訪れ、責任者の方とも様々なお話をすることができました。

こうしたお話を通して感じたことは、様々な課題を見つけながら、何が出来るか自分達でもしっかりと考えながら支援していく必要性があるということです。

大きい避難所においては、自治の仕組みが機能していますし、子供達や様々な人達がボランティア的に自分達が出来ることをしようと頑張っている姿を多く目にすることができました。

これから復興が進んでいけばもっと様々なニーズが発生していくと思いますが、現在のような生活支援の場合、課題や不足していることをしっかりと確認しながら、確実に手を差し伸べていくことをしなければならないと想います。

私達の活動として、今までの物資支援から人的支援に切り替わっていく中で、被災者の皆さんの生活が少しでも良くなるような支援活動をしていければと存じます。

また、本日は建設業協会の関係者として陸前高田建設業協会にもお話を聞きにいく予定でしたが、行った時間が遅くてお話しが出来ませんでしたので、また明日に伺うつもりです。

結びになりますが、SaveTakataの皆さんと、陸前高田でお会いしてお話をすることができました。

例え遠くに住んでいても高田の事を本気で想い、自分達が出来る最大限のことをしていこうという人達がいることを、本当に頼もしく感じました。

様々な皆さんと情報共有をしながら手を携え、少しでも高田の皆さんのためになるように考えながら、今後も継続的に出来ることを頑張っていきます。

2011年3月23日 (水)

3.22の活動です。

昨日は、少しばかりの燃料を集め、避難所の仮設トイレに電気を引くために必要な資材を花巻青年会議所OBでもある日成電気さんからご協力を頂いて、道具と一緒に高田で頑張る仲間に届けてきました。

菅野先輩、本当にありがとうございました。

昨日からは、一中の避難所の方々もお風呂に入り始めるなど、明るい話題も届いてきました。

被災しながらも周りのことを気遣ってくれるような方々が、本当に大勢いるということも他の方々からの情報で耳にします。 そして、復興に向けて力強く頑張っている方々も大勢いらっしゃいます。

こうした故郷に生まれ育ったことを、本当に誇らしく思います。

想うこと

今回の大震災で、私の高田一中時代の同級生が分かっている範囲でも3名亡くなっています。

2名は市役所職員で、中学時代から皆を引っ張っていけるリーダー的な存在の二人でした。

もう1名は印刷業を営んでいて、陸前高田と花巻で場所は違えど、自分達のまちを良くするために頑張っていた青年会議所の仲間でもありました。

彼が昨年陸前高田青年会議所の理事長を引き受けると聞いたとき、その一年前に花巻で理事長をしていた私にとって、彼がリーダーシップを発揮して頑張るという決意をしてくれたことを本当に嬉しく想うと同時に、心から激励したことを想い出します。

今年の1月1日に、来年の年祝いに向けた集まりを開催する。手紙と同時に、印刷業を営んでいる友人からも誘いの電話がありました。

今年の花巻は記録的な大雪で、私は31日の午前中から1日の午前中まで20時間以上除雪をしていて、結果としてその会に参加できませんでした。

今想えば、この会に参加したかった。 彼らといろんな話をしたかった。

心から残念に想います。

どんな運命のいたずらか分かりませんが、双子の兄と私は高田一中を卒業して、それぞれ盛岡と花巻の高校に進学し、その2年後には、家族皆で父が会社を営んでいたこの花巻市石鳥谷町に移ってきました。

兄は神奈川にいて難を逃れ、私達家族もこうやって花巻にいたことで今回の被害を受けずに済みました。

今回、高田の親類で亡くなった方や、亡くなった友人。命は助かっても、家や会社を無くした人達が大勢います。

私の故郷である高田のために何とか力になりたい。微力ながらも、どうにか力を尽くしたい。

そう強く想い、これからも自分が出来ることを続けていくつもりです。

2011年3月22日 (火)

復興支援に関する一案として

被災地の方々とお話をすればするほど、今後の復興のあり方を考えてしまいます。

多くの人財が失われ、行政の機能が低下し、職を失った方々も大勢いらっしゃいます。

しかも大震災という非常事態の中であれば、普段よりも当然ながら仕事量が増えてしまいます。

民間の経営的な発想ですが、このような考え方を一つの案とは出来ないでしょうか。

・震災にあった人達の中から、地域の復興支援に携わりたいと志を持ち、且つ土地勘を持っている方を中心に、行政や社会福祉団体の臨時職員として採用する。

これは、ボランティアとして被災地の中から協力を頂くことが難しいであろう被災地域もあり、かと言って外部の人達を中心に復興を進めることでは、産業も低下してしまっている中にあって、その地域の人達が生活し続けていく糧がなくなってしまいます。

そして、人と人とのコミュニケーションを考えても、継続的に復興・支援していく核となるべき人財が必要になっていくはずです。

短期的にはボランティアとして頑張る被災地の人もいると思いますが、収入の道がただでさえ閉ざされてしまっている中で、到底長続き出来るものではありません。

更に言えば、仕事を得ることで収入が生じ、且つ生活のリズムが出来ることで、人的な復興支援にもつながっていきますし、優秀な人材を地域に留めることができます。

もちろん外部からの支援も絶対的に必要にはなるのですが、今後の復興にあたっては、基本的に被災地の人達の雇用や、地域の人達の支えとなるような仕事が産み出されていくような仕組みを考え、復興していくことが大切なのだと考えます。

こうした人材を活かして横の連携を構築し、少しでも早期に被災者の方々が公平に支援される仕組みを創り、仕事を発生させ収入を得ながらその地域に根差して復興にも携わり、生活を続けていくことが出来る仕組みを創ることはできないものでしょうか。

志ある人達が、地域復興の要になっていくようなシステムが出来上がれば理想的です。

短期的な措置としてでも、考えることは出来ないものでしょうか。

2011年3月21日 (月)

陸前高田へ(3/21)

本日、弊社でなんとか調達したガソリン60㍑と灯油1タンクを持って陸前高田一中の本部にいる陸前高田青年会議所の同志に届けてきました。
 
この目的は、彼らを支援し動ける状況を作ることで、より詳細な情報を得ると同時に、なかなか支援が行き届かない所に手を差し伸べていくためにどうすべきか? 
この事を、共に考えていくためのものです。
 
まず、道路に関しては竹駒方面からの道路も大夫良くなってはきておりますが、一部少しだけ狭くなっている箇所がありますので、通行の際はご注意下さい。
 
重機も入りながら、本当に多くの消防関係の方々が捜索をされておりました。(竹駒町です)
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私の他にも、お餅20kgを届けた稗貫(石鳥谷・大迫)同志の会のメンバー4名と一緒に行ってきました。
 
稗貫同志の会の皆さんは、一中に物資を届けた後、他の物資を降ろす作業もしてくれております。
 
また、現地で青年会議所の東北地区協議会 高宮会長(福島-二本松),海鋒副会長(江刺)
岩手ブロックの佐々木会長の他、花巻,北上,江刺の各青年会議所理事長も現地を訪れ、支援体制について陸前高田青年会議所の高橋理事長と話をしております。
 
その後、私は高田一中の本部に留まり、陸前高田青年会議所の高橋理事長と、私と08年の同期理事長であった戸羽君の2名と意見交換をさせて頂きました。
 
【現在の状況として】
 
・沿線に近い大きな避難所への物資は定期的に届けられるようになってきています。
 
・ただ、少し離れた避難所の場合、物資が十分に届いていない状況にあります
 
・陸前高田一中でさえも、水の不足(給水車が需要に追いついていない)が今朝は深刻だったそうです
 → つまりは、かなりギリギリな状態での水供給になっています
 
・仮設住宅の建設は、順調に進んでいるように見えました。
 
・インフルエンザの発生による、手洗い(出来ればうがいも)、各消毒が必要になっています
 
・水の不足に関しては、今後簡易お風呂などが供給されるようになってくればより深刻になってきますし、水及び燃料の安定的な供給が必要になってきます。
 
・ガソリン等の燃料が不足している点もそうですが、避難所間の横の連携を取れる状況にはないようです。
 → 燃料不足よりも、地元に精通した人員の不足が大きいように思います。
 
・一中において子供達がシャボン玉を飛ばして遊んでいる姿を見ることが出来ました。
 → 幅広い支援が行われている一つの証なのかもしれません。
 
【本日意見を総合しての私見です】
 
・大切な人の安否不明者が多数いるために、公の活動に参加するまえにそうした人達を探したい状況があります。
 
・自治会機能を運営してきた主要な方が亡くなってしまっている場合や、そうした事に力を注げる状況にない場合もありそうです。
 
・それをサポートしたくても、行政は各避難所の運営や様々な対応に忙しく、今以上のことに手を広げていく余裕は到底ないように思えます。
 
・中で頑張っているスタッフの皆様も、10日目を迎える本当に献身的な活動の中で、どうしてもストレスや疲労が大きくなってきている感じを受けました。
 
・民間ボランティアの皆様の場合、長期でその地域で活動出来る方はごく少数なため、国であったり、岩手県や他市長村、何らかの公的組織などからの支援体制も必要になっているように思います。
 
・陸前高田の人達の生活を考えたとき、仕事を失った人が数多くいます。
 単なるボランティアではなく、復興のための仕事を通して収入を得て、早く生活のリズムを取り戻せるようになんとかしていかなければなりません。
  
【結びに】
  
今の状況は本当に厳しいですが、その中でも一生懸命に出来ることを頑張っている高田市民の皆さんに逆に力を頂きました。
 
私も微力ながら、なんとか出来ることを続けていきます。
 
注)本日の聞き取りや様々な方々からの情報を得て記載しておりますので、これが全てではないであろうことを付記しておきます。

2011年3月20日 (日)

決断力とリーダーシップ(3/20)

あの絶対に忘れることが出来ない大震災から一週間以上過ぎ、避難地での生活を考える必要性が高まっています。

支援物資も集まり始めている中ではありますが、横の連携が取れていない状況が続いています。

これは、一つの市における各避難所間もそうですし、各自治体間でも同じ状況のようです。

こうした時こそ、トップのリーダーシップを発揮して、既存の考え方に囚われない、本当に必要な事を早期に創り上げていくための決断力が求めらています。

避難所にいる皆さんの避難生活をどうしていくのか。

幸いにも自宅が残り、自宅で生活している皆さんの支援をどうしていくのか。

津波の難を逃れた地域においては、各公民館単位に避難所指定を広げて、各公民館単位でも必要物資の供給が地域の人達に出来るようにしていくことも必要になってきているように思います。

結いの精神やコミュニティが残っている東北だからこそ、その地域で助けあって、今の本当に厳しい状況をなんとか乗り越えていけるように。

こうして拠点に物資を運ぶようにしながら、その拠点を中心により幅広い人達を支援していくことができるように。

避難所も含めて、地域全体として効果的に支援を進めていく仕組み作りが早急に必要だと感じていますし、それに向けて動き始めている民間団体もありますが、まだ時間が掛かりそうです。

注)昨日までの聞き取りや様々な方々からの情報を得て記載しておりますので、これが全てではないであろうことを付記しておきます。