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2008年4月21日 (月)

聖火リレーについて

日本でのオリンピック聖火リレーのスタート地点だった、善光寺がスタート地点を辞退するという報道がありました。

長野冬季オリンピックの時に、善光寺の鐘の音を合図に聖火リレーが出発したという、オリンピックにとても縁が深い寺院が出発地を辞退したということは、何を意味しているのでしょう。

お昼のニュースでは、評論家の宮崎哲弥さんが、日本の代表的な寺院が聖火リレーの出発地を辞退したということは、チベット人権問題に関して、世界へメッセージを発信したということ。これから、辞退する所が世界的に増える可能性がある。

と、話していました。つまりは、チベット問題を容認しないというメッセージなのでしょう。

私は、善光寺辞退の事もそうですが、何のための聖火リレーなのかを考えたとき、既にその意味が無くなっているようにしか思えません。

ニュース記事によると、IOCのロゲ会長の代理として、デフランズ委員は、聖火リレーの意味を説明し、

「聖火は過去と未来をつなぎ、オリンピックを支持する人たちのものである。ランナーは聖火の神聖を体験できるチャンスに恵まれている」と述べました。

しかし現実的として、ランナーは警護されなければ走れず、チベット問題に関する抗議の的になっていますし、実際、神聖なはずの聖火リレーも企業広告という商業的な関わりがあることを考えると、ますますオリンピックの聖火リレーの神聖さが、既に失われているようにしか思えません。

今の状態で続けることに、何の意味があるのでしょう...

オリンピックが平和の祭典から商業ベースになってしまっているという話も聞きますが、「平和でより良い世界をつくることに貢献する」というオリンピック憲章に謳われている一文の意義が、今問われているように想います。

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聖火リレーについてを参照しているブログ:

» チベット問題 (ゆきの日記)
リレー当日、善光寺で法要 チベット問題訴え市民団体 東京新聞チベットの人権改善を... [続きを読む]

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