新しく会のトップや役員を決める際に、自ら立候補して決まっていくのではなく、殆どはなんとかお願いをしながら引き受けてもらっているのが実情になっています。
確かに、誰もが余裕を持って生活をしている訳ではないですから、そこに新たな役を担うとなると、それだけ頑張る必要がありますし苦労も伴うことになります。
家族や会社や、様々な理解や協力が無ければ、時間を作るのも大変だと思います。
断る理由は、確かにいくらでもあるかもしれません。
ただ、それは誰もが同じ状況です。
特別な人はいないですし、なんとか努力し頑張って役を引き受けて、担いを果たしている方々が殆どです。
だからこそ、特定の人だけに任せるのではなくて、今の状況から一歩を踏み出して、時には皆さんの為にと役を引き受け、苦労を分かち合っていきたいものです。
責任ある立場を努めると、皆さんから協力をしてもらうことへの感謝の気持ちが生まれ、自分も何かの際には他の人と手伝おうと気持ちが自然と強くなります。
お互い様だからと、皆で支え合って協力しあう良い関係が高まっていきます。
また、立場が変わることで意識や見方も変わり、得られる情報も増えて、人との関係性も拡がっていきます。
私が所属している様々な組織でも、新年度に向けての役員人事が動き出しています。
新しい会長にバトンをに渡しながらも次の会長のためにサポートすべきはサポートし、引き続き努めるべき担いについては、皆さんの協力を得ながら頑張っていきく所存です。
皆で苦労を分かち合い、支え合い協力しあって、それぞれの立場で物事が上手く進み、より良い地域や環境の構築へとつながっていって欲しいものです。
]]>立場が人を育てると言いますが、苦労を伴うことはそれだけ自分自身の糧となって帰するものだと考えています。
特にも30代の時には、自分自身へ大きな負荷を掛けながら、会社や家庭に加えて、こうした社会活動も積極的に頑張ってきました。
40代半ばとなった今でも様々な役を努めていますが、業界や地域の関係性の中で役割を努める上では、確かに自分自身の経験が役立っています。
こうして建設会社の社長をさせて頂いている中で、求めに応じて社会的な役割を果たす必要性があるという義務的な考えも、今まで多くの立場を努めてきた一因にもなっていました。
いずれにしても、様々な立場を努めるにあたって、それを実現出来る環境が自分にあったことには本当に感謝しなければなりません。
もちろん、少なからずそうした環境を創る努力を積み重ねてきた自負もありますが、家族にしても、会社の社員の皆さんにしても、そしてそれぞれの組織の関係する人達にしても、多くの皆様に支えられているからこそ今自分があります。
建設業を取り巻く社会情勢の変化や、家庭にしても子供達も成長を重ねていく中で、自分が為すべき事をしっかりと見定めながら、日々頑張っていきたいと想います!
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自分で考えてアイデアがでる場合もありますが、それ以上に他の人と話している中で考えが浮かんでくる場合が、自分は多いように感じています。
自分の知識や経験の範囲は限られていますから、今までと違う何かを自分だけに求めても、簡単に答えが出てくるものではありません。
より良い考えを導き出したいという気持ちがあれば、人の考えを否定したり反論する前に、その中から新しい事を考え得るヒントを導きだせるようにも思います。
自分としては、人を活かせるリーダーでありたいですね。
そうは言っても、立場によっては自分自身で即座に決断をしなければならない時がありますし、時には判断に迷いながらも決断しなければならない場合もあります。
結果として上手くいかない場合もありますが、そうした事も全て経験ですし、苦労した分だけ糧にもなってきました。
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」とは言いながらも、さすがに年齢と共に無理しすぎる事が良いとは言えなくなってきましたが、最近は経験が補ってくれるように感じ始めてもいます。
そして共に頑張ってくれる皆さんがいるからこそ、今でも様々なことを頑張ることが出来ています。
そ結局は自分の心のあり方が大切で、自分次第で良い環境を作ることも出来るのだと想います。
]]>3月11日は私にとっても特別な日です。
今朝の朝礼の際には、社員の皆さんと黙祷を捧げさせて頂きました。
今ではお盆のお墓参りの時など、故郷の高田を訪れる機会は少なくなってしまっていますが、中学校まで陸前高田で過ごした想い出は消えることはありません。
お墓が高田にある関係で、お盆には子供達と毎年高田の風景を見てきたのですが、震災前まではいつもの見慣れた景色に懐かしさを覚える程度でした。
母校の高田小学校を見ながら坂を登って、お墓がある高台から高田の街並みや高田松原を見ると、昔とあまり変わらぬ風景に心が温かくなったものです。
それがあの震災によって、一変してしまいました。
震災の6日後、親類がお世話になっている避難所に救援物資を届けにきた時に、お墓の状況を確認するために高台に上がった時の写真です。
ここにたどり着くまでにも信じがたい惨状を見てきたのですが、この何も無くなってしまった景色を見たときにも無性に涙が溢れてきた事を想い起こします。
・平成23年3月
子供達はその年の8月に高田へ連れていきました。
子供達には、以前は眼前の風景に街並みや松原があったものが、震災後にこうなってしまったことを話して聴かせました。
・平成23年8月
この写真は、翌年の8月に双子の兄貴と年祝いに参加した際のものです。
震災の関係で1年遅れての年祝いではありましたが、亡くなった同級生にはもう会えないことが無性に悲しかったです。
ただ、懐かしい顔ぶれに会えた事は本当に良かったです。
何もない中で、緑の草だけが一面に生えている景色が印象的でした。
・平成24年8月
翌年のお墓参りで高田を訪れた時の写真です。
この風景を見ている子供達には、今見ている風景が当たり前にしか感じられないのだと思います。
そこで生活していて昔を知る私とは、同じ風景を見ても当然ながら感じ方が違ってきます。
・平成25年8月
写真に写っている左側の造成地は、復興公営住宅の予定地だった場所です。
昨年の8月に訪れた際には、復興公営住宅も殆ど完成していました。
・平成26年8月
市街地があった場所の盛土も進んではいるのですが、規模があまりにも大きすぎて、完成まではまだまだ遠い道程のように感じられてしまいます。
我が家の子供達にとっては、これから新しく生まれてくる街並みが、高田市のイメージになっていくのでしょうね。
子供が元気に駆け下りていく階段の先に、笑顔溢れる新しい町が一日でも早く誕生することを心から願ってやみません。
]]>先日、PTA関係の行事で特別支援教育に関する勉強会に参加する機会がありました。
自分自身の子育てを振り返りながら、分かっていながらも出来ていないことが多いな~と反省するところが多かったです。
・否定よりも肯定をしてあげること
・良いこと、悪いことを明確に分かり易く伝えること
この二つだけでも、
私自身、ついつい感情的にしかも否定している事の方が多いですし、
具体的にというよりも、「駄目だろ!」 と、何が悪いの相手に取って分かり辛い、そんな叱り方をしてしまっているようにも思います。
子供の行動で増やしたことがあれば、
まずはチャレンジしたことを褒めてあげて、
更に具体的にどの行動が良いのか、分かるように褒めてあげること。
確かに、怒られれば萎縮してしまうでしょうし、それよりも褒められて、頑張る気持ちや大切なことなのだと認識して、成長していく方が良いですよね。
身近な存在に対してほど、遠慮が無くなって感情的になり易い自分がいます。
子供には相手の立場で物事を考える思いやりの大切さを常に伝えながら、
子供に対しては、自分の価値観を強く押しつけてしまっているようには思います。
ただ、どうしても許し難いことについては、これからも本気で叱ると思います。
叱ることも必要ですが、それよりもなるべく子供を褒めてあげられるるように、それを自分自身の課題にしていきたいと想いました。
]]>今日は久しぶりの土曜日休みにしていましたが、自主的に仕事を進めてくれている社員の人達がいます。
忙しい時は会社側からの要請で土曜日出勤をお願いしているのですが、それぞれの仕事の状況を考えて、自主的に判断をして頑張ってくれることも有り難いことです。
もちろん会社の許可を得ての休日出勤になるのですが、私自身はそうした判断を尊重するようにしています。
こうした出勤の場合は、今後の仕事を少しでも順調に進めるために、より頑張ってくれていることが殆どだからです。
人はそれぞれ、得意なこともあれば、不得意なこともあります。
出来ないことに目がいきがちですが、頑張ってやろうとしていることを評価してあげる方が相手のやる気にもつながりますし、私としては不足している部分をサポートしながら、全体が上手く進むようにしていきたいと考えています。
言うは易く行うは難しの通りですが、様々なことを良い方向に進めていけるように、これからも苦労を自分自身の糧にし、自分ができることを行動として積み重ねていきたいものです。
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先日、花巻市の第3回就学前教育振興会議に参加する機会がありました。
この会議の中では、平成25年度の事業経過報告に合わせて、参加者があるテーマの下で自由に発言する懇談の時間が毎回あります。
今回は、「共に育む就学前教育」という内容でした。
こうした会議に参加すると、市役所も様々な事業に加えて、子育てをサポートするための相談窓口や乳幼児への様々な支援が実施されている事が分かりますし、各保育園の工夫された取組みにも感心をさせられます。
そこに小学校も連動しながら、花巻市がめざす子供像である「元気な子ども」「やさしい子ども」「考える子ども」になるように事業が実施されていますが、やはり家庭の関わりが更に重要であることも改めて気づかされます。
自分も、忙しさを理由に子供達との関わり合いをどれだけもっているのか、生活習慣にしても親の都合に合わせていないかと、様々に自問自答し反省をする良い機会となっています。
改めて思うのですが、保育園の保護者会長としてこうした機会を得たからこそ、新たな気付きを得られるのであって、普段の生活を繰り返しているだけでは、こうした意識にはならなかったように思います。
仕事も家庭も同じですが、日々の生活を単純に繰り返しているだけでは、そこに新しい発見や気付きも生まれませんし、問題意識も無ければ向上心も生まれないように思います。
その環境が良ければまだしも、もしかしたら改善が必要な状況に気づかないままに、どんどん悪い方向に物事が進んでしまっていることもあるかもしれません。
他人の言葉にしっかりと耳を傾けることも、こうした事と同様の効果があるように思いますが、仕事でも家庭でも、少しでも良い方向に物事を進められるように日々努力したいものです。
広いアンテナと柔軟に対応する意識を大切に、常に学び気付く機会を得ながら日々の生活を積み重ねていきたいと考えます。
]]>物事の捉え方は、自分と相手では異なる場合も多いように思います。
お互いに価値観や立場が違うからこそ、同じ事を受け止めるときの感覚に差が生じます。
自分の価値観ばかりを優先していては、いつまで立っても幅広い視野で物事を見たり、考えたりすることが出来ませんし、結果にも大きな差となって表れてきます。
様々な経験をしっかりと自分自身に活かし、経験則としてもしっかりと身につけて判断基準に加えていく。
そうすることで、様々な事に対しての対応力が深まるのだと想います。
]]>私達の会社では、行政の年度に合わせて3月31日を締め日にしております。
平成22年度を思い起こしても、受注競争の激化に始まり、夏の異常的な暑さと冬の大雪、そしてこの忘れる事の出来ない大震災と、本当に大きな環境の変化に向き合わなければならない一年でした。
こうした自分達の会社を取巻く環境を変えることは出来ません。だからと言って、どれだけ自分自身を変えることが出来たのかと、自問自答してしまいます。
私の中でも、弱い自分と強い自分の心の葛藤がありますし、人は考え始めるとマイナスにばかり考えてしまいます。 どうしても、不安な事や心配なことばかりが先に立ってしまう時もあります。
そんな自分自身がどうであっても、翌日には朝がやってきて、自分が為すべき事に向き合わなければなりません。
そうした葛藤の日々の中にあっても、行動していくことを止めてはいけないのだと、そう心に決めています。
諦めずに行動さえ続けていけば、どんな小さな歩みでも、確実に前に進んでいくことができる。
ただそこには道標も必要であって、進むべき方向を示してくれるものがなければ、目的の所まで辿り着くことができません。
こうした状況下にあって、本当に多くの大切なものを失ってしまった人々に、これから未来に向けて歩んでいくための道標が示されなければ、歩み始めることが出来ない人も多いのだと想います。
前を向いて進んでいくための道標が、様々な形で早く示されていくことを願っております。
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最近、大学受験におけるインターネットを利用した不正の問題が取り上げられています。
大学に入ることが人生の目的になってしまっているのでしょうか。
例え不正をして大学に入ったとしても、大学のレベルについていけずに挫折をしたり、本当の実力が試される場が訪れれば、いつかボロが出てしまいます。
そして大学で何かをしたいという目的が無ければ、自由になる時間が多い学生生活の中で、無意味に時を過ごす結果になってしまいます。
確かに京都大学という大学のステータスに魅力を感じるのかもしれませんが、京都大学に入学した人がその時点で大きく評価されている訳ではなくて、京都大学を卒業した素晴らしい先輩達が社会に多いからこそ、より大きく評価されているのだと思います。
勉強ができることや頭が良いことも大きな一つの能力ですが、人間性が良い、人一番努力ができる、体が健康、手先が器用とか、全てがその人らしい素晴らしい能力です。
どれか一つの能力に固執しすぎるのではなく、自分らしい様々な能力を磨きながら、社会の役に立つ人生を歩んでいくことが大切ではないかと考えます。
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